田中冬二詩碑アルバム−くずの花−

01.神奈川県相模原市南区
上鶴間2960青柳寺


詩「春」すぺいんささげの鉢を/外に出して寝ても/よい頃になりました//今夜から明日の朝へかけて/太平洋の沿岸は/暖かい雨になるだらうと/海洋測候所は報じてゐます」処女詩集『青い夜道』)

庫裏の裏手の緑の海に詩碑が浮かぶ。銀行員・田中冬二を偲ばせるに相応しく、慎ましやかな細字が、遠慮がちに碑石の中央に身を寄せている。
『神奈川の文学碑』詳説。昭和55建立。
1994.08.第一回.5回以上訪碑
02.田中冬二之墓」青柳寺の広い墓地の北東部の一角には文学者達が編集会議でもするかのように集まっている。田中冬二を中央に一段と高く座らせその脇に野田宇太郎が寄り添う。黒御影石の墓碑の文字は詩人・草野心平揮毫。右側には法名「草雨亭忍冬居士」と刻む。昭和55年4月9日永眠。生涯に15冊の詩集を遺し、享年86歳で生涯を閉じた詩人は、今尚、仲間に囲まれて、賑やかに眠っている。
『神奈川の文学碑』詳説

03.東京都立川市富士見町4
富士見第二公園

詩「シクラメンの花と」「大晦日の夜十時頃/親しくしていただいてる花屋さんから/シクラメンの花鉢がとどけられた/すばらしい花だ/そのシクラメンと年越をした/スヰートハートといっしょのように」
JR青梅線・西立川から南へ1kmの公園の下段に座る。作者は昭和
21年安田銀行立川支店長(現富士銀行)に就任。詩は市内で花店を経営する三田氏から贈られたシクラメンへのお礼の一編。昭和10年秋。立川市文化連盟建立。 2005.05訪碑

「朝の食卓に近い/窓いっぱいに富士/目近く見る/富士は意外に小さい/スープに浮かんだ/その富士を/スプーンに掬ふ」(昭和18年来遊 作)
「河口湖畔の富士ビューホテルの食堂の窓から見た富士である」と自注。富士山型の台石、スープ皿に浮かんだ逆さ富士の造形がユニークな詩碑は富士を背負って佇つ。短い詩句は冬二独特のユーモアとセンスの良さを見事に結実させている。筆者一押しの詩碑。この富士ビューホテル北側遊歩道に谷崎潤一郎文学碑小説『細雪』もある。平成8年5月、旧勝山村建立。付録「紀行メモ」参照2005.11.訪碑

04.山梨県南都留郡富士河口湖町勝山 511近河口湖畔遊歩道

 

05.山梨県南巨摩郡早川町
奈良田
373公民館裏路傍
  

 詩「山郷」夕暮は雨となり 雨にまじり山焼の灰が降って来た…(中略)雨はまたひとしきり激しく渓向うの山をかくし/渓川も下の蒟蒻こんにやく畑もけむりながら暮れてしまつた/御神木の樅もみの木で二羽鴉がないた

歴史民俗資料館への坂道入口、奈良田公民館の裏手に居る。昭和11年8月にこの辺境の地に来遊、作詩。昭和38年奈良田白樺会建立。会長・深沢正志揮毫

2016.07.30.訪碑
「いしぶみ紀行・奈良田」参照
 「山への思慕」「山は父のようにきびしく正しい/山はまた母のようにやさしい/山をじっと見ていると/心はいつしかなごみ澄んで来る/山の精神に生きよう」

奈良田のバス停から600mほど南に戻った湖畔にひっそりと建つ。田中冬二の生誕百年記念に遺族から贈られた自筆原稿を早川町が刻む。傍らの副碑には冬二の建立経緯、略歴など紹介。「いしぶみ紀行・奈良田」参照。
2016.07.30.訪碑
 06.山梨県南巨摩郡早川町
奈良田 奈良田湖畔

07.長野県千曲市上山田温泉千曲川畔 万葉公園

1996.04.第一回訪碑.以下数回
「千曲川の歌」「千曲川の磧に/麦はや黄ばみたり/夕暮/流れに釣糸を/垂るれば/赤腹といへる鮠の/かゝるなり//麦秋は/暮れおそく/かの山裾の/桑の葉の/中をゆく/信越線の下りも/灯を点さす/麦の穂波に/まだ薄光はのこり/魚籠の中/さびしき魚の眼は/うつくしき夕空を/映せるならずや」第五詩集『故園の歌』所収。「さびしき魚の眼」に映る「信州の美しい夕映え」と詠んだ詩人の抒情が読者の胸を打つ。戸倉温泉の南端、万葉橋の袂に26基の文学碑と共に建つ。近くに愛する詩人・津村信夫の詩碑があるので何度も訪れた。昭和60年、上山田町建立。付録「紀行メモ」参照

「信州戸隠や鬼無里は/はやい年には/十一月に もう雪が来る/鬼無里に月夜の陵といふ古蹟がある/白鳳の世に/皇族某が故あって/此処に蟄居したが/その墳墓と云はれてゐる/その史実はもとより伝説さヘ/日に日忘却されやうとしてゐる/月夜の陵/何といふ美しく/また悲しい名であろう」(第13詩集『葡萄の女』所収)
鬼無里や戸隠をこよなく愛した詩人の碑は山奥の鬼無里の中心から更に6kmも離れた、根上部落に座る。平成3年建立。2013.08.訪碑付録「紀行メモ」参照。

 08.長野県長野市鬼無里
根上
(ねあがり)部落


09.長野県北安曇郡小谷村中土
小谷温泉 山田旅館(前庭)
「小谷温泉」「ごろりごろりごろり/石臼に夜があける/豆腐が山のつめたい水に/ざぶんざぶんととびこむ」作者は昭和3年7月、小谷温泉の山田旅館に投宿。随筆『小谷温泉』には「念願の千国街道経由の北陸旅行に踏み切った。夜行列車で松本駅に着き、大糸線で大町へ。バス、タクシーを乗り継いで小谷村の下里瀬に降り立った。ここからは歩くほかない。…夜通しの長い道中に疲れ、ぐっすり寝込む。明け方になり、階下から届いてきたのが石臼の音だった」と記す。  昭和56年、山田旅館主人建立. 2014.10訪碑.付録「紀行メモ」参照。

「浄永寺」「早月川の磧が傾斜地に白う見える/胡麻の花が咲いてゐる /小径に田圃の水が溢れてゐたりする/草履を脱いで跣になる/きれいな水に小さい鮒がはしる/雪小屋は大分低くなつてゐる /(中略)/私達にでる精進料理の大根膾でもつくるのか庫裏の方で包丁の音がきこえる」第2詩集『海の見える石段』所収。
当寺は田中家の菩提寺。
昭和43建立
1995.05.訪碑

10.富山県黒部市生地 金屋
131
浄永寺

 11.富山県黒部市生地吉田新
230
たなかや旅館

「ふるさとにて」「ほしがれいをやくにほひがする/ふるさとのさびしいひるめし時だ//板屋根に/石をのせた家々/ほそぼそと ひしがれひをやくにほひがする/ふるさとのさびしいひるめし時だ//がらんとしたしろい街道を/山の雪売りが ひとりあるいてゐる」(処女詩集『青い夜道』)少年の眼に焼きついたふるさとの景色、その追憶と郷愁がこの詩に結晶。旅館の前庭左側に座る美しい碑碑。館内には田中冬二資料室がある。昭和43年。田中家建立1995.05第一回.2009.08再訪

 「くずの花」「ぢぢいと ばばあが/だまって 湯にはひってゐる/山の湯のくずの花/山の湯のくずの花」
田中冬二の代表作のひとつ。作者自注には「…この詩を四行にするのに半年を要した。…くずの花が咲いて山はもう秋風である。渓川に臨んだ湯に、もう人生も終わりの老人夫婦。老いさらばえたからだも痛々しい。老人達の生涯はどうだったろうか。…短い四行の詩であるが、その中に内在するものをくんで読まれたい」とある。
平成元年、黒部市ライオンズクラブ建立。2009.08.訪碑

12.富山県黒部市生地 経新 1004 水産物卸売市場前 名水公園(東側奥)

 13.前掲の富山黒部市生地名水公園(東側奥)

 エッセイ「潮風」「ここは水に恵まれた処である。しやうじと/云って手杓で汲める清冽な水が至る処で湧く/それはコップや茶碗に汲むと外側が/雫する位で氷のやうである。…この水だけは天下一品である。…」北アルプスの山々から流れ下る水は生地のあちこちで清らかな湧き水となって地表に出てくる。黒部の人々が自慢する一品。碑は平成.元年、黒部ライオンズクラブ等が建立。
2009.08.訪碑
 「故郷詩抄」「山からくる水の/たいさうつめたく /そこに洗ふ皿や小鉢に/とほい欅平や祖母谷あたりの雪のにほいのする/そしてまたふと手にすくはれてくるのは/あの藍ばんで透明なかはいい川蝦である」処女詩集『青い夜道』所収の一編。

詩の一部が省略されており残念。広大な公園の体育館前大噴水横に座る。平成8年に黒部名水会建立。2009.08訪碑
以上4基については付録「紀行メモ」参照

14.富山県黒部市堀内1142
黒部市運動公園

 15.兵庫県豊岡市城崎町湯島
1075晴嵐亭
(玄関横)
 「城崎温泉」「飛騨の高山では“雪の中で山鳥を拾った” という言葉がある/私は雪の町で山鳥を買った/可哀想に胸に銃弾のあとのある山鳥を/さむい夜半だった/私はそれを抱えて山陰線の下り列車を待ってゐた」第三詩集「山鴫」所収。
大正2年立教中学校を卒業後、5月に安田銀行に奉職、12月に出雲支店に配属になった。この時期に城崎温泉に来遊、作詩。2008.11.訪碑。付録「紀行メモ」参照。
 「冬  但馬浜坂」「新月が出てゐた/暗い町の辻に 日本海の怒涛がきこえた/針問屋は重い戸をおろしてゐた」第四詩集『花冷え』所収の一編。全集の詩と一部異なるが「自筆色紙より」と碑陰に記されていた。この碑文通りの異稿詩文もあるのか。未だに謎は解けない。平成元年、浜坂町建立。2008.11訪碑。付録「紀行メモ」参照。  16.兵庫県美方郡新温泉町浜坂ユートピア・浜坂
 17.富山県黒部市宇奈月町
黒薙温泉(浴室壁面)

「くずの花」「ぢぢいと ばばあが/だまって 湯にはひってゐる/山の湯のくずの花/山の湯のくずの花」黒部渓谷を遡るトロッコ列車の黒薙駅から断崖の険しい山道を20分歩く。老いた足では辿れそうにない。最後の一基だが、どうしても届かない。昭和48年館主設置と聞く。 写真は借物