いしぶみ紀行・山梨県・奈良田

 

田中冬二の詩碑を探しに南アルプス山中へ

身延線・下部温泉から奈良田部落まで、富士川の支流・早川に沿って県道・南アルプス道を38kmも喘ぎながら走る。ある時は白い河床がむき出しの谷底を這い、また、ある時は崖にへばりつく細い道に肝を冷やす。マイクロバスしか通れない細道。所々に発電所と小さな温泉が顔を出す。終点近くのトンネルの前で「是より なら田」の石碑が出迎えた。
 トンネルを抜けると視界は一気に広がり、奈良田湖が顔を出す。車窓にしがみ付いて湖畔の田中冬二詩碑を探す。廃業した「大家旅館」脇がバスの終点「奈良田」であった。広いバス道が出来る遥か昔(昭和11年)、田中冬二が一日かけて歩いた道をバスは一時間で走り抜けた。南アルプスの山を下って来た山男、山ガールが登山靴のひもを緩めて座り込んでいた。


(身延線・下部駅から早川町の険しい南アルプス街道を遡る)

標高825mの涼風が頬を撫でる。時々登山靴の音が響く。真昼の道を湖畔に沿って300mほど歩く。古刹・外良寺の東側、町営共同浴場「奈良田の里」の案内板の上から、目指した田中冬二「山郷」詩碑が顔を覗かせていた。
  地元の人々に教わって、漸く辿り着いた詩碑であった。急な坂道を登り裏側に廻りこむ。碑陰の撮影には成功したものの、危険を冒して崖の上の碑文を確かめるのは諦めた。奈良田の人々から聞いた、過酷な「焼畑農業で生計をたてる、貧しい奈良田」の様子を詠った一編を紹介したい。(帰宅後、碑面の写真を拡大。第五詩集『故園の歌』所収の全文を確認した)
 夕暮れは雨となり 雨にまじり山焼の灰が降つて来た//父も母も兄も嫂も皆山仕事に出掛けてもう七日 留守に媼さまと幼いもの達だけ/すぐ前の渓の釣橋を渡つた山を上り五里も奥山の開墾小屋では雑木林を焼き/其処へ先づ蕎麦を播き翌年は粟を次の年には豆をつくるのだ//さあつと俄に雨は強くなり暗くなつた/ラムプを点した ラムプの灯は瞬いた/─父親は黄檗の皮を堆高く背負つてゐる 母親は木苺の実をいつぱい籠に入れて来る 兄は樫鳥の仔を捉へて来る─/幼いものは媼さまから毎夜 父母たちの賑やかなかへりをこんな風に聞かされて/しづかに寂しく眠つた//雨はまたひとしきり激しく渓向うの山をかくし 渓川も下の蒟蒻畑もけむりながら暮れてしまつた//御神木の樅の木で二羽鴉が鳴いた
  詩に詠われた「ご神木」を探して急坂を登る。夏草の匂いに囲まれた天神さまの向うに訪ねて来た外良寺の屋根が見える。やがて姿を現した町営の共同浴場の奥に奈良法王神社が鎮まっていた。
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