持参資料:詩人・立原道造は東大卒業後の昭和13年に体調を崩す。静養のため、9月15日に友人の画家・深沢紅子の実家がある盛岡に向う(この北方への旅は「盛岡ノート」に詳細に残る)。その途中で雑誌「四季」を通じて親交を結んだ詩人・竹村俊郎の故郷である山形の村山市(往時「楯岡」)に立寄る。乗車したのは東京上野10時発、奥羽本線経由青森行急行。楯岡には20時28分着。合計10時間強と気の遠くなる旅であった(現在の上野・村山間は新幹線利用でたった3時間)。「盛岡ノート」には“竹村俊郎邸の三階”と書かれた風景スケッチ画−前掲−がある。真中に鳥海山とその手前の山々と稲田の風景が描かれた風景には“…人の生きることがここではすべて美しい槍のようだ。信濃の高原ではそれが音楽のなかであったように僕の眼がここではものをきかねばならない。ここにある部落が何かしら非常になつかしい感じがする。夕ぐれの白っぽい青い煙がかすませている”とコメントを配し、「…平野はすっかり黄色い稲田だ。まわりをいろいろな高さの山々がとりかこんでいる」と書き記している。

旅の終わりに
  第一回の山形紀行は平成10年で高畠町の浜田広介、上山市・山形市斎藤茂吉・松尾芭蕉、西川町の丸山薫を訪ねた。蔵王熊野岳頂上の茂吉歌碑も狙ったが悪天候に阻まれた。
  第二回は山形紀行は平成21年で秋田県から入って、新庄市・酒田市・鶴岡市等に奥の細道の芭蕉を追って走り回った。
  今回の山形路は赤いリンゴ、秋桜、蕎麦の花、曼珠沙華…と秋色に染まっていた。
        
         (西川町・丸山薫詩碑:月山注連寺・森敦文学碑:盛岡市愛宕山・立原道造詩碑)
  過去の思い出に浸っていると、山形から左沢線で辿り着いた月山山麓・岩根沢の丸山薫の詩碑(第一回紀行)、長時間のドライブに疲れ果てながらも羽黒山や月山の懐深く分け入り、芭蕉句碑や森敦「月山」文学碑を訪ねた日々(第二回紀行)が鮮やかに浮かんできた。更には、何度も訪れた立原道造・盛岡愛宕山詩碑のおまけまで付いて、帰りの鞄は重かった。

旅の土産:思い出の碑群
丸山薫:西川町岩根沢岩根小学校詩碑(月山南山麓の丸山薫疎開地)
   人目をよそに春はいのちの花を飾り 秋には深紅の炎と燃える あれら山ふかく寂寞に生きる木々の姿が いまは私になった
森敦:鶴岡市大網中台注連寺文学碑(月山西山麓、小説「月山「舞台)
  「すべての吹きの寄するところ これ月山なり
立原道造:盛岡市愛宕山の林中詩碑
  「光あれとねがうとき 光はここにあった!鳥はすべてふたたび私の空にかへり 花はふたたび野にみちる 私はなほこの気層にとどまることを好む 空は澄み 雲は白く 風は聖らかだ

 
(天童の秋桜:尾花沢の蕎麦の花:天童の曼珠沙華)

                            -p.07・完-