持参資料:斎藤茂吉は、明治15年(1882年)、現在の上山市金瓶の農家に生。同郷の医師・斎藤紀一に見込まれて14歳で上京し医学を学び、後にその養子となる。伊藤左千夫とともに、大正・昭和を通じて「アララギ「を代表する歌人として大きな足跡を残す。昭和21年1月、疎開先の上山市から大石田に移る。板垣氏の力添えで二藤部兵右衛門家の離れに居住。野鳥の声が聞こえることに因んで「聴禽書屋(ちょうきんしょおく)」と命名し、翌年の昭和22年11月まで居住。悠久たる自然と大石田の人々と触れ合う中、晩年の64歳から65歳にかけて詠んだ歌の数々(850首)は歌集「白き山」に収録された。東京に戻った茂吉は昭和26年(69歳)文化勲章を受章。翌年には「斎藤茂吉全集全56巻」も発行され、茂吉はようやく晴れがましい日々を取り戻した。昭和28年2月25日、新宿大京町の自宅で70歳9カ月の生涯を閉じた(戒名:赤光院仁譽遊阿暁寂清居士)。精神科医としても活躍。
|