前回の山形紀行で新庄の重要碑は見ていたので、駅前から車を拾って、芭蕉が最上川下りの船に乗り込んだ新庄市本合海を目指した。左右に月山と鳥海山の遠景を眺めながら、収穫間近の穂波で輝く黄色い絨毯の上をひたすら走り抜けた。
  本合海の芭蕉乗船地は北上してきた最上川が八向楯の絶壁に阻まれて、直角に西に向きを変える難所に面していた。最上川の水運を支えた堅固な船着き場が遥か下方に横たわる岸辺で芭蕉句碑「五月雨をあつめて早し最上川」や記念像にご挨拶し、最上峡の川下りのため古口・番所跡に急いだ。
 子規は上流の「大石田」からだったが、新庄に立ち寄った芭蕉は「本合海」から小舟で最上川を下った。昨今は本合海下流の「古口」からの乗船である。十数人の客を乗せて船は静かに岸を離れる。
  ベテランの船頭の案内は、一時間の船旅の間ひと時も乗客を飽きさせず、「奥の細道」の最上川の段を朗々と語り、最上川船歌・真室川音頭も挟んでの熱演に終始。激しく波立つ川面は芭蕉の句を、波静かな水面は蕪村の句「五月雨や大河を前に家二軒」を思い出させた。

          
             (本合海の芭蕉記念像:本合海八向楯の難所:芭蕉「五月雨…早し」句碑) 

「奥の細道:最上川の段」
  最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。板敷山の北を流て、果は酒田の海に入。左右山覆ひ、茂みの中に船を下す。是に稲つみたるをや、いな船といふならし。白糸の滝は青葉の隙々に落て、仙人堂、岸に臨て立。水みなぎつて舟あやうし。「五月雨をあつめて早し最上川」
 (最上川を下った体験を踏まえて、大石田での発句「五月雨をあつめて涼し最上川」を「五月雨をあつめて早し早し最上川」に改作した。「涼し」から「早し」とたった一語の変更だが、最上川には「早し」が似合っていた


(「奥の細道」に登場・板敷山:同左・白糸の滝:芭蕉の「五月雨…早し」の舞台)

 大石田・尾花沢の斎藤茂吉
  大石田には、最上川の海運で栄えた歴史を背景にして、松尾芭蕉、正岡子規、斎藤茂吉ら文人の香りに満ちていた。芭蕉を歓待した高野一栄の邸宅跡地が、茂吉を世話した門下生・板垣家子夫氏の屋敷であったこと突き止め、その奇遇に心ときめかせながら「茂吉」「茂吉」と走り回った。
  歴史民俗資料館に移設保存されている旧居・聴禽書屋(元は最上川川畔にあり、芭蕉が大石田で止宿した高野一栄宅の近)と向かい合って建つ歌碑「蛍火を一つ見出て目守りしがいざ帰りなむ老の臥処に」を写真に収め、すぐ近くの乗船寺で茂吉の奥津城と当地での名吟と絶賛される歌碑「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆうべとなりにけるかも」を調べ、今宿の虹ヶ丘公園に車を走らせた。
                                -p.03-