信濃追分駅ホーム:詩「のちのおもひにの木碑が現れては消える。詩の代わりに「恋人・水戸部アサイ宛の手紙」の木碑が掲げられる時もある
軽井沢町追分公民館詩碑
(平成6年建立) 詩「村はずれの歌(咲いているのは みやこぐさと…)」と半身像を彫った銅板が塀に嵌め込まれている。多くの詩の舞台となった道造ファンの聖地。
母校・久松小学校詩碑(東京都日本橋久松町7:平成19年建立)略歴と詩「夢みたものは…(夢みたものはひとつの幸福 ねがったものはひとつの愛…)」が掲げられている。
ヒヤシンスハウス(平成15年建設)メタセコイアの木々の美しいさいたま市南区別所沼公園で花に囲まれている。コテ−ジを設計させたら右に出る人はいないと称賛された道造が、自らの居住のために設計した小住宅。道造が設計した建物はほとんどなくなった今貴重品である。没後65年を記念してさいたま市と道造を愛する人々の手によって実現した。日を決めて内部も公開する。
 

                        
いしぶみ紀行:諫早・長崎

今回の旅で訪ねた70基を越えるいしぶみの中からいくつかを紹介して置きたい。
  諫早編
  諫早では伊東静雄の詩碑探訪・再訪が主題であったが、序に、諫早公園の蛍塚とその副碑に刻まれた吉井勇の歌「水きよき本明川のほたるにも 小さきいのちのありていとしも」を調べ、隣にある緑の濃い上山公園で芥川賞作家・野呂邦暢文学碑を探した。2m近い石組に『諫早菖蒲日記』の冒頭一節「まっさきに現れたのは黄色である。…」を刻んだ白御影石銘板を嵌め込み、作者の胸像が添えられていた。
          
                       (諫早・蛍塚:諫早・野呂文学碑:諫早公園眼鏡橋)
長崎編
  29日朝、明るくなるのを待って、一時間ほど朝練に出かけた。
  西坂教会の水原秋桜子句碑「天国の夕焼を見ずや地は枯れても」、吉井勇歌碑「長崎の鶯は鳴くいまもなほ
じゃがたら文のお春あはれと」のある聖福寺から斎藤茂吉の「旧居跡:上町 6−27」と桜町公園茂吉歌碑「あさ明けて船より鳴れる太笛の こだまは長し並みよろふ山」、興善町の市立図書館脇で見つけた芭蕉の高弟「向井去来生誕地」などを駆け巡った。
 (
注:斎藤茂吉は大正6年35歳、現長崎大学医学部教授として4年間居住。吉井勇は明治40年に「五足の靴」の一員として、長崎を訪れて以来、長崎の南蛮文化に魅せられ度々長崎を訪れ、200首にも及ぶ長崎の歌を詠んだ…と二人共に長崎とは縁が深い
  憧れの司馬遼太郎文学碑は長崎中心部東側を守る山の頂上(標高150m)の風頭公園で港を見下ろす。地図を見ると寺町からは延々と石段が続くし、公園付近の道は細道ばかり。  チャーター車で釣り上げてもらった。勝手知った地元の運転手でなければ、到底、届かない曲がりくねった細道を慎重に走った。愛読した『竜馬が行く』文学碑は、狭い駐車場から坂道を登った坂本龍馬像の脇に設置されていた。
  
          −p06−