道造を巡る旅は今回で全て終わった。東京の生家や墓所を始とするゆかりの地、軽井沢・追分、盛岡ノートの旅の全行程(上山・盛岡)、長崎ノートの旅の全行程を歩き回った。
  大学時代に初めて詩集に接し、社会人となってからも機会を見つけて道造の詩の舞台を歩いた。5冊の角川版立原道造全集を筆頭に50冊を越える復刻詩集や研究書が本箱に溢れてる。

  「青春時代の麻疹」と揶揄される道造からいい加減に卒業を…と思いつつ、60年もの間一緒に歩いて来た。
  建築家らしく精密に構築され、ガラス細工の様に輝く詩句、美しい抒情の背後には壮絶な文学者としての覚悟があることも知った。詩人・郷原宏は『立原道造−抒情の逆説』の中で、「立原道造は、愛されることの多いわりには、理解されること少ない詩人であ」と喝破している。道造を理解するために費やした60年の歳月であった。
  今少し生きながらえていれば、師・堀辰雄のような古典や王朝文化の世界に得意の和語を駆使して新鮮な詩の世界を開いたのではとの思いを抱いて、愛読してきた蔵書を捨てることの出来なかった60年であった。 書き残したいことはまだまだあるが、長崎の道造はこの辺で終わりにしたい。
 全国の道造の詩碑、道造設計の小住宅、多寶院の奥津城の写真を掲げて置く。
           
         
 (盛岡市愛宕山の詩碑:旭川市旭川実業高校詩碑:軽井沢高原文庫詩碑)
           
      信濃追分駅碑:同・水戸部アサイ宛手紙:軽井沢町追分公民館碑 
           
         
(東京・久松小学校詩碑:さいたま市ヒヤシンスハウス:東京多寶院道造墓)
盛岡市愛宕山詩碑
(昭和50年建立)詩「アダジオ(光あれとねがうとき 光はここにあった)」を刻む。昭和13年9月から一か月間、山麓の画家深沢紅子の「生々洞」に滞在。
旭川実業高校詩碑(平成3年建立) 詩「草に寝て」全節を刻む。同校の生徒達の努力の結晶。正門下の路傍にあり、正面に大雪山連峰を臨む絶景の坂道で毎日登校する生徒を出迎えている。
軽井沢高原文庫詩碑(平成5年建立)代表作「のちのおもひに(夢はいつもかえっていった 山のふもとのさみしい村に…)」を乗せた製図机を模した斬新なデザインで文学館を訪れる人々を魅了する。
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