諫早・鷲崎交差点詩碑:諫早・諫早公園詩碑:大阪・住吉高校詩碑
  爽やかに吹き抜ける五月の風が、訪ねた静雄の詩碑の数々を運んできた。
  四冊の詩集から選び出された詩句を刻んだ詩碑は全国たった6基しかない。
  訪ねた諫早公園の詩碑に次いで昭和57年に建てられたのは、静雄が長い間教鞭を執った住吉高校(大阪市阿倍野区北畠2)の校庭隅の木立の中にひっそりと佇つ。緑石の碑面には処女詩集「わがひとに與ふる哀歌」から代表作「曠野の歌」「わが死せむ美しき日のために/連嶺(れんれい)の夢想よ! 汝()が白雪を/消さずあれ…」を刻む。
  昭和59年大阪市阿倍野区松虫通二丁目のポケットパークに第三詩集「春のいそぎ」(昭和18年刊)から詩「百千の」の全節「百千の草葉もみぢし/野の勁(つよ)き琴は 鳴り出づ/哀しみの 熟れゆくさまは/酸き木の實 甘くかもされて 照るに似たらん/われ秋の太陽に謝す」が建てられた。静雄の下宿や住吉高校に近い歩道の一角であった。歩き疲れた足を休ませるにはあまりに人通りの多い路傍に、黒御影石の碑面が輝いていた。
  静雄生誕百年を記念して平成19年に建てられたのが、大阪・堺市の史跡・旧堺燈台下(堺区大浜北町)に座る詩碑で詩「燈台の光をみつつ」「くらい海の上に 燈台の緑のひかりの/何といふやさしさ/明滅しつつ 廻転しつつ/おれの夜を/ひと夜 彷徨(さまよ)ふ…」が刻されている。碑は南海本線・堺駅から大浜公園を横切った先の高速道路の下にあり、訪われる人も少ない様子で、埋立てで消えてしまった海の残骸を眺めていた。
  平成25年に第6番目の詩碑が没後60年を記念して建てられた。47年の短い生涯の内、13年余りを過ごし、昭和28年に永眠の地となった堺市美原区北余部の旧居に近い美原図書館(黒山167)に居る。詩碑に刻まれているのは詩「夕映」の一節「わが窓にとどく夕映は/村の十字路とそのほとりの/小さい石の祠の上に一際かがやく/そしてこのひとときを其處にむれる/幼い者らと/白いどくだみの花が/明るいひかりの中にある(詩集「反響」所収)である。東に金剛・葛城の山々と悲運の大津皇子が眠る二上山がくっきりと並びたつのが遠望できた。静雄が好んだ風景に、折口信夫『死者の書』に描かれた古代の物語を重ね合わせてしばらくは立ちり難かった。
        

           (大阪・松虫通りの詩碑:堺市・堺燈台跡詩碑:堺市・美山図書館詩碑)

          いしぶみ紀行・立原道造−五月の風のゼリー−
  立原道造に倣って、諫早から長崎までは長崎本線の鈍行列車の旅を選んだ。伊東静雄が道造の訃報を聞いて書き上げた見事な一編の追悼詩(「沫雪 立原道造氏に」「冬は過ぎぬ 冬は過ぎぬ。匂ひやかなる沫雪の/今朝わが庭にふりつみぬ。まがきかれふ はた菜園のうへに  そは早き春の花よりもあたたかし…)がお供であった。
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