福島の桃源郷
福島までの新幹線の道中では、歩き回った高村智恵子のふるさと(現・二本松市安達町油井)を車窓に探し、高村光太郎が詠った安達太良山と阿武隈川を飽かず眺めた。
福島市郊外・渡利の「花見山公園」は混雑を避けて前回(2007年)に倣って、一番乗りを目指した。が、入口はすでに大勢の人々で溢れていた。
案内書には「当地の景観は、色とりどりの花木や清らかな小川、素朴な里の風景で織りなされています。写真家の故・秋山庄太郎氏が“福島に桃源郷あり”と称えて全国に紹介し、以来、花の名所として知られるようになりました。公園は、昭和10年ごろから初代園主・阿部伊勢次郎氏が山を開墾し、花木を植えたことから始まります」とあった。
小山を花々で埋め尽くした努力に感動しながら、入口の「花見山公園」石柱の裏側に刻された伊勢次郎の句「今日もよし明日も亦よし花見山」に広い園内を歩く開拓者の姿を重ねた。
小山の頂上まで登る60分コースの踏破には自信がなかったので、45分コースを70分もかけてゆるりゆるりと、咲き誇る花々を愛でながら歩いた。
花々は最盛期で、数多い品種の桜は無論のこと、花木蓮、花桃、連翹、菜の花…と花に酔うひと時を過ごした。花々の間から、時々、顔を覗かせる吾妻山系の残雪がひときわ印象に残った。
(花見山公園)
全山に広がる花々に手を振り、市の北部を固める信夫山に走る。
第二展望台の斎藤茂吉歌碑「まどかにも照りくるものか歩みとどめて 吾の見てゐる冬の夜の月」と第一展望台の野村俊夫作詞・古関祐而作曲の軍歌歌碑「暁に祈る−ああ あの顔で あの声で 手柄たのむと妻や子が」を訪ねた(両者共当地出身)。
展望台からは福島市街地が柔らかい光の中に浮んでいた。以前に訪ねた山口部落の「文知摺観音」が遠くに光っていた。その地に座る、河原左大臣「みちのくの忍ぶもち摺誰故に 乱れ初にし我ならなくに」、松尾芭蕉「早苗とる手もとや昔しのふ摺」、正岡子規「涼しさの昔をかたれしのぶ摺」を探したが、老眼が進んだ所為か発見できなかった。
(信夫山公園・斎藤茂吉歌碑:同左・野村俊夫詩碑:同左・福島市街地展望)
−p.04− |