一万歩を越えたこの頃から弱った足がよれ始めた。車を頼んで安積高校へ。
 前身は福島県下の名門・福島中学
(明治17年創立)である。数多くの著名人を輩出しているが、文学者に限っても高山樗牛(1)、久米正雄(22期)、中山義秀(30期)、東野辺薫(32期)、玄侑宗久(88期)と錚々たる人々が名を連ねる。
 国の重要文化財に指定されている旧福島尋常中学校本館の出迎えを受けて正門を潜る。右手の植込の中に高山樗牛文学碑「人生は価値なり」が桜の花びらに取り囲まれて空を見上げていた。東大在学中に発表した「滝口入道」はかろうじて読破し、名言「己の立てるところを深く掘れ。そこには必ず泉あらん」には感じ入ったが、戦前の学徒たちを揺さぶった、思想家・樗牛のこの言葉には理解が届いていなかった。

 郡山市は池の多い街であった。その一つに五百淵公園があり、池の周りを咲き誇る桜が取り囲んでいた。入口に車を待たせ、桜を愛でながら遊歩道を進む。日本野鳥の会の創立者として、また文人としても名を残した中西悟堂句碑「三光鳥菜の花すりて一文字に」は脇の木立に中で鳥の声に耳を傾けていた。

        
              (高山樗牛文学碑:中西悟堂句碑:五百渕公園さくら並木)

  4月12日(日)
   郡山の朝練

 早朝4時に目覚めた。郡山文学館で入手した市内の文学碑資料を眺めながら夜明けを待った。5時を過ぎ窓が一気に明るくなった。独り、忍び足で部屋を飛び出した
 清水台町・大慈寺の芭蕉句碑「閑かさや岩にしみ入る蝉の聲」は本堂右前の植込で朝日を浴びていた。建立後約200年を経て碑面は荒れ果て判読が困難であった。

 同じ清水台の安積国造神社は当地の鎮守社。ここは江戸後期に日本の知識人を育て上げた儒学者・安積艮斎
(あさかこんさい)の生誕地で、記念碑や座像が建てられていた。昌平黌の教授を務め、門弟には、吉田松陰・高杉晋作・小栗忠順・岩崎弥太郎・福地桜痴…と幕末から明治初期に日本の指導者となった人々が名を連ねたと聞く。
 本堂左前に真新しい石が座っていた。阿久津善治の歌碑「ひとすぢの雲に茜を残しつつ ためらひもなし時の流れは(碑陰には平成2年、ケルン短歌会が建立とあった前田夕暮門下の逸材だった作者は当地で生まれ、当地で活躍した)であった。 訪碑予定リストにない、新しい碑の発見で元気をもらった。
 堂前町にある金透小学校の久米正雄句碑「春雪に古るは明治の出窗
(でまど)かな」(再訪)へ歩きながら、「阿久津・ケルン短歌会」と何処か読んだ名前を呼び戻そうと試みた。「阿久津」も「ケルン」も記憶の深い淵に沈んだままで、浮かび上がって来なかった。

          
                  (安積艮斎記念座像:阿久津善治歌碑:久米正雄句碑)
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