八女市ゆかりの画家
八女にゆかりの画家、坂本繁二郎と青木繁について書いておきます。
奇しくも日本の洋画壇の代表する二人は共に生地は久留米、生年も明治15年です。
今回の旅では坂本繁二郎の筆塚とアトリエ跡記念碑・歌碑を巡りました。
坂本繁二郎(1882〜1969) は旧久留米藩士の家に生。大正10年フランスへ。魅せられたのは巨匠たちの絵ではなくフランスの自然であったようです。印象派を生み育んだ明るい光と風に虜になった坂本は、もともとの柔らかい色彩はより明るく、鮮やかさを増したと伝わっています。洋画壇の巨匠と讃えられ、昭和 31 年には文化勲章を受章。画壇に確かで、大きな足跡を残しました。
愛したフランスのバルビゾン地方の風景と八女の風景が似ていたことから、八女市に住居(稲富513番地)とアトリエ(緒玉134番地)を構えたそうです。坂本の死後(昭和44年)、アトリエの建物は石橋美術館がある久留米の文化センター内に移築され、現在はコンクリート製の収蔵庫だけが広い敷地に残っていました。
収蔵庫の前に、緑石に黒御影石を嵌め込み、表(東側)に自筆で「坂本繁二郎アトリエ跡」と刻んだ記念碑(平成15年建立)が建てられていました。道路からは見えないが碑の裏側(西側)には坂本の自筆の歌「風となり雨となるともわれはたゞ此姿ままに歩む一筋」(薫夫人揮毫)が黒御影石に刻まれているそうですが見逃してしまいました(後日ネットの写真で確認)。
坂本繁二郎は山本健吉と同じ無量寿院の墓地に眠ると聞いていましたが、本堂裏手には歴代住職の広い墓域と石橋家ほか数基の墓碑が立つだけで、坂本繁二郎は居ませんでした。が、寺の参道右手の一角に、豪華な「坂本繁二郎筆塚」(写真前掲)がありました。塚前には繁二郎を敬慕していた俳人・野見山朱鳥が追悼句として詠んだ句「愁絶の眼をみひらける大暑かな」が黒御影石の句碑(平成13年建立)となり、塚を守っていました。背後の白梅と一体になって見事でした。
八女IC近くに画家・青木繁の母の故郷・室岡の部落があります。その地の岡山公園に歌碑「わがくにはつくしのくにやしらひわけ(白日別=筑紫の国の別称) はゝいますくにはじ(櫨)おほきくに」(平成14年11月建立)があると聞いて立ち寄りました。が、標高50mの頂上までは車は登れないので諦めて帰ってきました。
(同文の歌碑が青木繁の故郷・久留米の神社にもあり訪碑済み。前掲の写真は借物)。
坂本繁二郎アトリエ跡記念碑:同左碑陰歌碑(借物):青木繁歌碑(借物)
八女の土産
その1−白壁の家並。八女市の中心・八女福島(「本町」と呼ばれる旧福島城址を囲む一帯)は関東の川越市、飛騨の高山市、中国の柳川市…と肩を並べる白壁の家並で旅人を歓待してくれ、足を踏み入れた旅人はしばしその風情に酔いしれます。
市のパンフには「街並みの特徴は“居蔵(いぐら)”と呼ばれる妻入入母屋大壁塗込造りの防火構造の土蔵造りで、江戸時代以来しばしば大火に襲われたことから、江戸末期から明治にかけて建てられた」とありました。
しかしながら、他都市ほど電柱の地中化が進んでおらず、折角の白壁が台無しであったのは誠に残念でした。
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