無事に第九のベートーヴェンに出逢ったので、最終章に登場する詩人・シラーに逢いに出かけた。
  街の中央、オペラ座の東側にブルグ公園があり、片隅にゲーテ記念像が座る(ゲーテの東隣に一番人気の「モーツアルト記念像」があったが運悪く修復工事中)。南に200mほど離れたシラー公園には、ゲーテと対峙するがごとく、シラー記念像が天をにらんでいるのを確かめ、美術史美術館へ歩いた。
  その間ずっと、持参したシラー詩「歓喜に寄す」(抱き合うがいい、幾百万の人々よ!/このくちづけを全世界に贈ろう!…)が第九の旋律に乗って頭の中を駆け巡っていた。
  少し長くなるが、第九の理解のために敢てロランの言葉を幾つか記して置きたい。

この歓喜の主題テーマが始めて現われようとする瞬間に、オーケストラは突如中止する。そして沈黙が来る。やがてシラーの「歓喜に寄す」が始まるが、この沈黙が一つの不思議な神々しい性格を与える。超自然的な静けさをもってひろがりながら、歓喜は空から降りて来る。その軽やかな息のそよぎで、歓喜は悩みを愛撫する。苦悩から力を恢復して立ち上がる心の中へ喜びがすべり入るときに、それが与える第一の感銘は情愛の深さである

1824年5月7日にウィーンのケルントナ―トーア劇場(筆者註:現在のホテル・ザッハやカフェ・モーツアルトのある場所)において「第九」は初演された。成功は凱旋的であった。ベートーヴェンがステージに現われると、彼は喝采の一斉射撃を五度までも浴びせかけられた。多数の聴衆が泣き出していた」「喝采の雷鳴のようなとどろきが、彼には少しも聴こえなかった。歌唱者の一人が彼の手を取って聴衆の方へ彼を向けさせた時まで、彼はまったくそのことを感づきさえしなかった。突然、彼は帽子を振り拍手しながら座席から立ち上がっている聴衆を眼の前に見たのだった

しかし勝どきも束つかの間であった。その物質的効果はまるで無かった。音楽会は少しも儲かっていなかった。依然として彼は貧しくて病身で孤独であった

 
第三章
終焉

市電のショッテントール駅で、目印のヴォテェーフ教会のゴシックの塔を確かめ、シュバルツシュパニェル交差点まで歩く。交差点を左折し、国立銀行の手前の右手のビル(Schwarzspanierstraße 15番地)に赤白の国旗に飾られた記念プレートを見つけた。怒りに満ちた顔付のベートーヴェン肖像が通りをにらんでいた(建物の3階に182510月から永眠する1827年3月26日まで居住)。往時の建物は建て替えられているが、ここが終焉の地に間違いなかった。
  …死が迫って来た床の上で1827年2月17日に朗らかな調子で書く“辛抱しながら考える。一切の禍は何かしらよいものを伴って来ると”…その「よいもの」は死の解放なのであった。臨終の彼自身の言葉によれば「喜劇の大団円」(筆者註:最後の言葉は「諸君、喝采を。喜劇の終わりだ」と伝わる)なのであった。…むしろいおう「彼の全生涯の悲劇の終結」と。彼が息を引き取ったときは嵐と吹雪の最中であり、雷鳴が鳴り渡っていた(ロラン)
  
  死の3日前に書かれていた遺言も掲げておきたい。
  私は今、喜んで死を受け入れます。運命は残酷でしたが、終わりのない苦しみからやっと解放されるからです。いつでも用意はできています。私は勇気をもって死を迎えます。私が死んでも私のことを忘れないで下さい。覚えてもらうだけのことはしたと思います。どうしたら人々を幸福にできるか、ずっと考えていたのですから。さようなら。
  
  ベートーヴェンは何故に自分の生涯を「悲劇」ではなく「喜劇」と呼んだのか考えたが答えは見つからぬまま歩く。やがて葬儀が行われたアルトナー教会が視野に入って来た。

                
             (ベートーヴェン終焉の地:同・記念碑:葬儀場・アルトナー教会)                

                       -P.05-