シュエーデンプラッツ駅で降り、レストラン「グリーヒェンバイスル」(Fleischmarkt 11番地)を訪ねた。
 「ここは1447年創業の名店で、音楽家ではベートーヴェンを始め、モーツアルト、シューベルトなどが愛用したレストランです。後で、ウエイターが壁面を飾るサインの説明をしてくれます。食事はご一緒できませんがゆっくりとおくつろぎ下さい」との案内を済ませて女史は消えた。
  メインの牛肉の煮込みを食べながら壁や天井を埋め尽くすサインを見渡す。漢字の「松平健」「大地真央」「米倉涼子」のサインは直ぐに見付かったが、肝心のベートーヴェンやモーツアルトはウエイターが竹の棒で示してくれても判読できなかった。満腹のお腹を抱え、モーツアルト終焉の家を探しながら歩き、美術史美術館を目指した。

            
       (グリーヒェンバイスル:サインの残る壁:ベートーヴェン公園の記念像

また別の日、交響曲第五番「運命」 (作曲は1805年にハイリゲンシュタットで開始され、1808年38歳で漸く完成) を初演したウィーン劇場(Linke Wienzeile 6番地 )を探し当てた。
  ここは現存するウィーン最古の劇場である。ベートーヴェンが音楽監督として住みこんだ縁の場所でもあり、今も記念の部屋が残ると聞く(当地で初演されたモーツアルト「魔笛」に登場する道化師「Papagenotor」名前を冠した門が今も健在する)。
  
18081222日。暖房もない劇場で、少数の観客が寒さに耐えながら演奏を聴いていた。コンサートのプログラムは交響曲を2曲、ピアノ協奏曲、…と全体で4時間を越えるという非常に長いものであって、聴衆や演奏家の体力を大きく消耗したこともあり成功しなかった(ロラン)
  
 聴衆の一人は「運命」を聞き終え、「嘘だ!
運命が勝利で終わるとは限らない」と叫んだという。  扉は固く閉ざされていたので、劇場前の舗道に埋め込まれたサインと横町のパパゲーノの門前で記念撮影して探訪を終えた。
               
                ウィーン劇場ベートーヴェン記念碑:パパゲーノの門:劇場前のサイン
  交響曲第九番を完成させた旧居も訪ねた。
  そこはウィーン中央駅に近い、高層ビルの谷間の一角(Ungargasse 5番地)であった。小さなレストランの壁面に国旗で飾られた記念碑とベートーヴェンの肖像付の標識が貼り付けられていた。人通りが少ないのを幸いにして持参資料を読む。
 
 「彼は広い肩幅を持ち力士のような骨組みであったが、背が低くてずんぐりしていた。顔は大きくて赭かった。額はがっしりと強く盛り上がっていた。異常に厚い髪の毛はまるで“メドゥーサの頭の蛇ども”のようであった。眼光が強い熱を持っていた。…その眼は小さくて深く沈んでいたが、情熱や怒りに憑かれると突然大きく見ひらいて、内部のあらゆる考えを、みごとな誠実さをもって映し示すのであった。…彼の習慣的な平素の表情は憂鬱メランコリーであった」
(ロラン)
  
 通りを見下ろすベートーヴェンは癒しがたい悲しみを浮かべていた。

               
                       (第九完成の旧居:同・記念標識:シラー公園のシラー像

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