貴兄との約束通り、お願いして、骨を拾わせてもらいました。まだ暖かい白い骨は重々しかった。約束を無事に果たしてほっとしたのか、一気に涙が噴出した。係員は「美しいご遺骨です」と言ったが、正直な所、涙で曇って良く見えなかった。ただ、夫人が骨壺に貴兄の愛用の眼鏡を収めたことだけはしっかりと確認した。もうこれで迷うことなく歩み続けることだろうとその優しい心遣いが身に染みた。
「阪神とお酒とタバコをこよなく愛した人でした」で始まる節子夫人の会葬者への礼状は、ありきたりの言葉ではなく、心のこもった文言が並べられていて深く参列者の心を打ったと思われます。貴兄の育んだ愛の深さに感動したよ。
詩の一編でも祭壇に置いて旅立ちの餞にしたかったが間に合わなかった。式場の深い緑の中に浮び上がった旧作(p5に拡大写真)の一編で勘弁願いたい。
以下に葬儀の後、悲しみを紛らわせるために歩き回った記録を記して置く。
いしぶみ紀行・埼玉県白岡市
老いとは一つ一つと大切なものを引き剥がされることなのか。突然訪れた「サウターデ(孤愁)」は唯ひたすらに歩き回ることによってしか解消されないと経験が教えていた。
お別れを済ませて、白岡市の正福院を七年ぶりに再訪した。
東北本線白岡駅から西へ15分ほど歩き、小さな山門を潜ると、右手の丘の上から室生犀星の詩碑が「ようこそ」と手招きした。傍らに慈母観音石像も添えられて以前より良く整備されていた。
白御影石に赤御影石を嵌め込んだ碑面には、長男・豹太郎を失った悲しみが「毛糸にて編める靴下をはかせ…」で始まる詩「靴下」に凝縮され、その全編が刻まれていた。犀星が「忘春詩集」に静かに並べた言葉は宮沢賢治や中原中也の悲しみの絶唱と共に忘れ難いので紹介するよ。
犀星詩碑の先にある鐘楼の鐘には、宮沢賢治の「絶筆短歌」二編が刻まれている。
「病のゆえにもくちんいのちなり みのりに棄てなばうれしからまし」
「塵点の劫をし過ぎていましこの 妙のみ法にあひまつりしを」
前者「みのり」は稲の「稔り」と「妙法蓮華経」の「み法」を示し、法華経の熱烈な信者だった賢治の絶唱として印象深い一首である。後者の「塵点の劫」は「悠久の時」のことで、その時を越えて法華経の教えにめぐりあえたという感激を一途に、素直に、歌い上げています。有名な詩「雨ニモマケズ」を書き残した手帳に記されている二首で、賢治の絶筆、絶唱です。
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