いしぶみ紀行−レクイエム−

 報告−今村兄へ−

2013年9月12日夜、節子夫人からまさかの電話が飛び込んできた。
  丁度一週間前に春日部中央病院に見舞った時には、痛み止めの点滴で少しぼやっとしていたね。何度も死線を乗り越えて来たからまだまだ大丈夫だろうと、頑張れよと手を握り、少し毛髪の後退した貴兄の頭を撫でたのが、お別れになるとは。無事に年を越して「権現堂の桜を見に行こう」との約束を果たしたいものだと思いつつ帰って来ただけに言葉が出なかった。
  以下に貴兄が黙って見守っていたお別れの会の模様を報告いたします。悲しみを胸に刻み、一緒に歩んだ日々を忘れないために。 

昨今ではこれが当たり前の様だが、4日間も自宅待機を余儀なくされ、貴兄の脇を固めたドライアイスはさぞ冷たかったろう。でも、頑張ってくれたお蔭で、台風一過の雲一つない秋晴れの日に貴兄の通夜・葬儀・告別式が行われ、参列者は一様に感謝していたよ。
  埼玉県加須市川口の「メモリアル・トネ」はこの地域の火葬場に隣接する式場でした。少し不便だったが、その分、豪華で貴兄を見送るには十分な緑と静寂が辺りを支配していました。
  お節介ながら、お疲れの伺える節子夫人と二人のお子様に、貴兄に代わって「長い間、本当にありがとう。宿痾との壮絶な戦いの日々だったが、お蔭で豊かな人生だったよ」と貴兄からのお礼を伝言して置きました。眠るように静かに逝ったと聞いた貴兄が、一番言いたかった言葉でありながら、「本人を前にそんなこと言えるか」と口に出さなかったと思ったので…。

式場入口には家族が準備した思い出の品々が並んでいた。開式を待つ間、貴兄の遺品の数々を拝見したよ。
  テーブル中央の遺影の前には日本酒とタバコ。これはこれからの旅路に必需品だろう。残された者の心づくしとして重いだろうが持って行ってくれ。医者からも、俺からも文句を言われることなく存分に嗜んでくれ。テーブルの左手にはトラキチだった貴兄の集めた「阪神タイガース応援グッズ」、右手には愛用の卓球のラケットと地元のチームメイトと一緒の「今村監督古希祝写真」、そして、73年の生涯を彩った人々との写真の数々が溢れんばかりに並んでいた。(下記に会場と遺品写真)

     

簡素だが心のこもった式場では「釈最勝居士」と名前を変えた貴兄が壇上から何時もと変わらぬ鋭い眼差しで、哲学者の様に微笑んでいたのが強烈な印象として残った。
  浄土真宗の僧侶の引導は荘厳でした。これで貴兄がまっすぐに西への道を旅することが出来ると安堵しました。
  通夜や葬儀・告別式には貴兄が精魂を傾け尽くした会社の連中、貴兄が貢献した地元の人々などで会場は超満員。入りきれなった参列者はロービーにまで溢れていた。貴兄を慕う人々がかくも多数集まったことは嬉しい限りでした。寄せられた弔電の数々は聞こえたかな。大学時代から晩年まで、貴兄の生前の活躍の集大成だった。彰宏君も立派に挨拶して務めを果たしたよ。

                      -p.01-