宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』は日本の詩の中でもとりわけ有名な詩です。来年になって中学校へ進学すると、教科書に出てくると思います。その時にはよく勉強して味わって下さい。宮沢賢治という詩人が、自分はこんな人になりたいと、大切に、大切に、手帳に書き記していた詩です。

  安城市の「南吉めぐり」の最後に新田小学校へ自転車を走らせました。新田小学校は黄色く色づいた稲穂の波が延々と続く美しい風景の中にぽつんと建っていました。
図書室の前に『百姓家』と題された詩碑が座っていました。かたわらにはこの詩に登場するハモニカを吹く少年像が添えられていてなかなか見事な出来栄えでした。
 お聞きよ、この百姓家から/もれてくるハモニカの声を。
 だれかが風呂にはいりながら、/ハモニカをふいているのだ。
 ほら、湯気にくもったガラス窓に/小さいカンテラの灯が見えるだろう。
 あの灯の下で、ジャブジャブやりながら、/ふいているのだ。
 
  この詩は南吉が亡くなる前の年(28歳)に書いたものです。
  風呂の中でハモニカを吹くやんちゃな少年を、29行にわたって、ユーモラスに描いています。南吉が一番書きたかったことが、最後の方に出てきます。
  「そいつは、やんちゃで、バカなこともするが、/夢が大きくて、犬なんか、かわいがっているんだ。/こんな見すぼらしいかやぶきの百姓家だが、/ここには明るい幸福があるのだ」
  やんちゃな子供であっても、優しくて、大きな夢を持って生きて行くことの大切さ、貧乏な家に生まれても決して不幸せでないことを書いているのだと思います。昔、この学校の生徒にこの詩に出てくるハモニカを吹くやんちゃな生徒が居たのかもしれないと思うと、楽しくなりましたよ。
       
  (中部小学校・「雨ニモ負ケズ」:鎌倉市光則寺・「雨ニモ負ケズ」:新田小学校「百姓家」)


南吉先生は半田市に眠っています
  話は少しもどりますが、半田市の南吉先生の生家から、秋風に吹かれながら矢勝川へ向いました。
  矢勝川は「ごんぎつね」で兵十がうなぎを捕っていた川として登場します。川畔の「ごんごろ園地」には「西の谷も東の谷も、北の谷も南の谷も鳴るぞや。ほれ、あそこの村も、あそこの村も、鳴るぞや」と童話『ごんごろ鐘』の一節を刻んだ碑が待っていました。誰も居ない園地で碑を調べてから彼岸花を見に行きました。
  「ごんごろ園地」のある高田橋から南吉記念館近くの弘法橋までの1500mが「百万本の彼岸花」の堤防です。今が満開という時に訪れましたので、見渡す堤防は遥かに上流まで真っ赤に染まっていました。
  堤防に沿って200mほど上流に進むと「デデムシ園地」(デンデンムシのことをこの辺では“デデムシ”と呼ぶようです)がありました。そこには「デデムシ」の彫刻、「ごんぎつね」の滑り台、子狐をあしらったフェンスなどがあって子供たちの広場でしたが、今日は彼岸花を見に来た老人ホームの人々で賑わっていました。
  ここからの彼岸花の眺めは素晴らしく、半田市の人々が「日本一」と自慢する風景でした。が、この赤い色は、南吉に染められた一日を過ごして来たので、兵十に撃たれて死んでいった、“ごんぎつね”の流した血であろうか・・・と不吉なことを連想してしまいました。
  日本一の彼岸花を見ながら堤防をたどり、南吉先生が一時期を過ごしたお母さんの実家にある『墓碑銘(ぼひめい=お墓に刻む言葉)と題する碑を訪ねました。
  
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