おーちゃんが小さい時には、町中でも牛が車を引いて重い荷物を運んでいるのを見かけました。でもこんなに沢山の感想は浮んで来ませんでした。「牛」をじっと見てこんなに沢山の言葉がわいてくる所は、さすがに、詩人ですね。
  この詩では「重いもの」が重要な言葉だと思います。「重いもの」は単に重さが重いといっているだけではありません。「重いもの」に「しんどいこと」「苦労すること」「つらいこと」「大切なこと」・・・と色んな事をこめています。そして、そんな困難を乗り越えて行くために、「牛」が一体どうしたのかを書いています。何事かをなしとげるためには、この牛のように、色々と考えながら歩かなければならないことを南吉先生は教えているのです。
  南吉先生より相当年上の人ですが高村光太郎という日本を代表する彫刻家、詩人がいます。南吉先生の詩「牛」を読むたびに同じ題名の光太郎の詩を思い浮かべます。
  岩手県の花巻市には、この詩を刻んだ碑が建っています。そこはもう廃業になった工場の敷地内で、探すのに苦労しました。碑は大きな松の根方に寝そべっていました。
高村光太郎の『牛』の一部を書いておきます。
  牛はのろのろと歩く/牛は野でも山でも道でも川でも/自分の行きたいところへは/まっすぐに行く・・・(中略)
  それでもやっぱり牛はのろのろと歩く/何処までも歩く/自然を信じ切って/自然に身を任して/がちり、がちりと自然につつ込み食ひ込んで/遅れても、先になっても/自分の道を自分で行く(中略)
  牛はのろのろと歩く/牛は大地をふみしめて歩く/牛は平凡な大地を歩く
  高村光太郎は、自分の生き方を「牛の歩き方」に例えて、大きなことをなしとげるためには、「のろのろ歩く」「しっかりと大地をふみしめて歩く」「自分の道を自分で行く」・・・と書いています。南吉先生の考えたことと似た所があります。おーちゃんはこの詩も好きです。
  たける君。人は、それぞれ形はちがっても、重い荷物を持って、歩かねばなりません。「重いもの」に出会ったらこの二つの詩を思い出して、勇気をもらってください。
       
       (安城高校:「ででむし」詩碑:安城公園:「牛」詩碑:花巻市・高村光太郎「牛」詩碑)


南吉先生を追っかけて小学校をめぐる
  桜町公園のとなりに、桜町小学校があります。校門を入ると、右手に、「ごんぎつね」に登場する「狐」と「兵十」の石の彫刻と「南吉のうた」と刻んだ記念碑が散らばっていました。彼岸花に囲まれた「ごんぎつね」が親しげに手まねきするので写真をとってあげました。
  桜町小学校の北側、東海道線の安城駅を挟んで、中部小学校があります。
この小学校の校庭には、「文学の散歩道」という名前で、沢山の詩を刻んだ四角い御影石が置かれています。その中の一つに、南吉先生の『貝殻(かいがら)』の詩を刻んだものがあるので見に行きました。
  「悲しいときは貝殻鳴らそ 二つ合せて息吹きこめて 静かに鳴らそ貝殻を」と刻まれた碑は、秋のひざしをまともに受けて光っていました。校舎に張られた案内図をたよりに19基もの碑が地面に座っているのを見て廻るのはたいへんでした。たける君の学校にはなさそうだから、有名な詩を三つだけ紹介しておきましょう。
  宮沢賢治「雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテイカラズ/イツモシヅカニワラツテイル
  三好達治「ありが ちょうのはねをひいていく/ ああ/ヨットのようだ」、
  やなせたかし「水にうつった/ぼくのかげ/ゆれて光って/うれしそう/ぐにゃぐにゃまがる/ぼくのかげ/ ほんとのぼくより たのしそう(“アンパンマン”の作者です)
                       −p.02−