町の見える場所から坊やの帰りをふるえながら待っていたお母さんは、無事坊やが戻ると涙が出るほど喜びました。
 お母さんは坊やから人間は思ったよりも怖くなかった事を聞くとあきれましたが、
 「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。
  真菜ちゃん、最後の母狐の言葉「ほんとうに人間はいいものかしら」をどう思いますか。作者は同じ言葉を二度繰り返すことによって、迷いながらも、「人間はいいものだ」と考えていると思いませんか。
  『手袋を買いに』は数ある南吉先生の作品のなかでも『ごんぎつね』と並んで人気の高い作品です。美しい文章で引き込まれますし、独り手袋を買いに行く子狐の冒険には胸がどきどきします。最後の母狐の言葉も読者の心に響くと思います。まだ読んでいないのであれば、ぜひとも、読んでみて下さい。
         
        (新美南吉記念館で校外学習:“デンデンムシ”詩碑:“手袋を買いに”文学碑)


名作「ごんぎつね」を書く
  南吉先生の母校である岩滑小学校を訪ねました。母校ですが、昭和6年に代用教員を務め、社会人としての第一歩を踏み出した記念すべき学校です。ここで名作童話『ごんぎつね』が生まれ、南吉先生は生徒たちに読み聞かせたそうです。
  訪ねた時の小学校はもう子供達が帰った後でしずまりかえっていました。運よく居られた先生にことわって、体育館の脇にある碑を見に行きました。権狐(ごんぎつね)と童話の名前を漢字で書いただけの大きな石碑でしたが、文字は優しい南吉先生の性格をよく表していました。
  小学校から見ると北の方角に「権現山」という小さな山があります。この山には、昔、狐が住んでいました。その狐を主人公にして、南吉先生は童話を書いたのです。だから童話の題名は、「権現山の狐」すなわち「ごんぎつね」となったといわれています。あらすじを書いておきます。
  「ごんぎつね 」 (あらすじ)
 中山の近くの山中に“ごんぎつね”という狐がいた。“ごん”はひとりぼっちだったが、畑を掘り散らかしたり、つるしてあるとうがらしをむしりとったりと、たいそういたずら好きな狐だった。
 ある日、“ごん”は川で網をはって魚をとっている兵十を見かけ、こっそりびく(釣った魚を入れておくかご)に入れてある魚を逃がしはじめる。最後にうなぎを逃がそうとした所で兵十に見つかり、首にまきつけたまま逃げ出した。
 十日ほどたって、兵十の母親が死んだ事を知った“ごん”は、一人ぼっちになってしまった兵十に自分と同じ憐れみを持つと同時に、兵十の母親はきっと最後にうなぎを食べたかったに違いないと思い、自分のしたいたずらを後悔します。
 その後、“ごん”は山の中でとれた栗やキノコをこっそり兵十の家に届け始めた。兵十は誰がくれたのかむろん分からない。いつも届けられる栗やキノコは神様がくれたと思いはじめた兵十に“ごん”は少し不満を感じたりもしたが、“ごん”はいつものように栗を届けに行った。
しかし、“ごん”がこっそり入ってきた事に気付いた兵十に火縄銃(ひなわじゅう=昔のてっぽう)で撃たれてしまうのです。
 “ごん”を撃って近づいた兵十は土間に置かれた栗に気付きびっくりします。
 「“ごん”、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
 “ごん”は、ぐったりと目をつぶったまま、うなずいた。兵十は火縄銃をばたりととり落した。
 青い煙が、まだ筒口から細く出ていた。
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