少し長い詩ですが辛抱して読んで下さい。
 詩「デンデンムシの悲しみ」 (本文はカタカナで書いてあります)
 いっぴきのデンデンムシがありました。ある日、そのでんでんむしは大変なことに気がつきました。
 「わたしの背中の殻(から)の中には悲しみがいっぱいつまっているのではないか。」
 この悲しみはどうしたらよいでしょう。デンデンムシはお友達のデンデンムシのところにやって行きました。
 「わたしは何という不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には悲しみがいっぱいつまっているのです。」とはじめのデンデンムシが話しました。
 するとお友達のデンデンムシはいいました。
 「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです。」
 それじゃしかたないと思って、はじめのデンデンムシは、別のお友達のところへ行きました。するとそのお友達もいいました。
 「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです。」
 そこで、はじめのデンデンムシは、また、別のお友達のところへ行きました。
どのお友達も同じことを云うのでありました。
 「悲しみは誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの悲しみをこらえて行かなきゃならない」
 そして、このデンデンムシは、もう、なげくのをやめたのであります。
  この詩碑は、美智子皇后陛下が平成10年に行われた国際児童図書評議会世界大会で「子供時代の読書の思い出」として講演された時に引用された作品なので、それを記念して建てられたものです。
  皇后陛下はその講演でこんな風にご自身の思い出を語って居られます。
  「何冊かの本が身近にあったことが、どんなに自分を楽しませ、励まし、個々の問題を解かないまでも、自分を歩き続けさせてくれたか」
  「その頃、私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた、と知った時、簡単にああよかった、と思いました。それだけのことで、特にこのことにつき、じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。しかし、この話は、その後何度となく、思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻みこまれていたのでしょう」
  そうです、皇后陛下は本を読むことの素晴らしさをお話しなさっているのです。本を読むことは、その時すぐに役立たなくても、必ず、どこかで役立ちます。本を読み、考え、記憶の奥に大切にしまっておくことを心がけて下さい。


  記念館には「童話の森」と名付けられた森があります。その森を背負って童話『手袋を買いに』の碑が木陰で休んでいました。碑の上にちょこんと乗っている親の狐の像、親狐に寄り添う子狐の何と愛らしいことでしょう。記念館に来た人々は、一様に、うっとりと見とれています
童話「手袋を買いに」(あらすじ)
 洞穴に親子の狐が住んでいた。初めて雪を見た坊やはその冷たさにびっくりする。その小さな手がしもやけになっては可哀想だと思ったお母さんは、夜になると坊やを連れて町に向かいました。でも、町の光が見えるところまで来ると、お母さんは昔、人間にひどい目にあわされた事を思い出し、どうしても町に近づけないのです。
 坊やがせかすので仕方なくお母さんは坊やを一人で町に行かせる事にしました。
 お母さんは坊やの片手を人間の手にかえていいました。
 「トントンと戸をたたいて、今晩はっていうんだよ。中から人間が、すこし戸をあけるからね、その戸のすきまから、人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋ちょうだいっていうんだよ」
 よちよち歩きでぼうし屋にたどりついた坊やはお母さんに言われたとおり、戸をノックした。
 少し開いた隙間からこぼれるでんとうの灯りにびっくりした坊やは、間違って、人間の手の方でなく、本当の狐の方の手を出してしまいます。
 「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
 ぼうし屋はおやおやと思ったが、坊やの持ってきたお金が葉っぱでない本物だと確かめると、その狐の手に暖かい手袋をつけてやりました。
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