とても悲しいお話ですね。いたずらな子狐・ごんが、兵十のお母さんの死という悲しみにであって、優しい狐に変って行く。だが、その優しさが、自分に悲しみ(死)を運んでくる・・・。何というやるせないお話でしょう。撃たれて死んでいった“ごん“はきっと「何故だ。何故ぼくは死ななければならないのだ」と、一瞬、考えたと思います。でも、”ごん“は、”青い煙“を見ながら、「ぼくの気持を兵十はわかってくれた。心が通じたのだ。ぼくは良いことをしたのだ」と安らかに悲しみの世界に旅立ったのではないでしょうか。お互いに「思いやることのすばらしさ」と「わかりあうことのむずかしさ」を南吉先生は書きたかったのだと、おーちゃんは思います。
  南吉先生はこの作品を18歳の時に書きました。当時、全国の少年少女が読んでいた雑誌『赤い鳥』に掲載されて、「新美南吉」の名は日本中に知れ渡りました。南吉先生の代表作品として、今でも、小学校の教科書に取り上げられることが多い童話ですから、真菜ちゃんも読んだかな・・・。
  教員として社会人となり、その後、今一度、大学にチャレンジして大学生となった南吉先生は次第に大人の世界に足を踏み入れて行きます。でも、南吉先生は自分に中にある子供の眼を失うことはなく、子供の眼を通して童話や詩を書くことを心がけたようです。
  

  そうそう、南吉記念館にある「童話の森」の彼岸花が咲く細道を緩やかな登りで分け入ると雑木林の片隅に『ごんぎつね』の始めの一節を刻んだ碑があります。また、岩滑小学校の後に訪れた岩滑郵便局の前にも碑があって、色鮮やかな童画中の“ごん”が街道を歩く人々に「ほら採れたての果物だよ」と秋の収穫を届けている様子でした。
  

  岩滑小学校には今一つ別の碑があります。
正門の脇のナンキンハゼ(烏臼)の大木の下に、子狐たちの彫像に囲まれて、『落葉』という詩を刻んだ黒御影石が座っています。
 私が/烏臼(うきゅう=ナンキンハゼ)の下をゆくと /金貨でもくれるように/ 黄い葉を二枚/落としてよこす/さて私は/この金貨で/手袋を一揃い買って/懐かしい童話の狐に/持ってってあげよう
  訪れた時にはナンキンハゼは青々と茂っていましたが、いま少し先には赤や黄色に燃えあがって「二枚の落葉」の贈り物を子供達に渡してくれるだろうと思いながら帰ってきました。真菜ちゃんも色付くナンキンハゼに出会ったら、ぜひとも、天からの贈り物を受け取って下さい。
         
         (岩滑小学校・“落葉”詩碑:ナンキンハゼの紅葉:郵便局のごんぎつね)


  南吉先生を巡る旅はまだ続きますが、長くなるので今日はこの辺で終わります。
  続編は「たける君への手紙」に書きますので、そちらも読んで下さい。
  また、一生懸命本を読んで、考えて、あの素晴らしいスピーチの続編を聞かせて下さい。
  ではまた、一緒に遊ぼうね。



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