町の郊外にある半田博物館には「たんぽぽの いく日ふまれて けふの花」と刻まれた大きな句碑が座っています。この俳句は、南吉先生が小学校の卒業式で読んだ答辞に入っていた俳句です。南吉先生のことを研究している人が、「江戸時代の俳人の句に“たんほゝや幾日踏まれてけふの花”というよく似たものがあります」と書いていますので、南吉の創作か引用かはわかりませんが、13歳の少年がこんな俳句を生徒代表で読みあげ、先生方を驚かせたと聞くと、すごいと思いませんか。
  南吉先生が勉強した半田中学校は、今は、半田高校と名前を変えています。校庭には昭和4年3月2日の16歳の時の日記が岩の様な大きな石に刻まれています。
「余の作品は、余の天性、性質と大きな理想を含んでいる。だからこれから多くの歴史が展開されていって、今から何百何千年後でも、もし余の作品が。認められるなら。余は、其処に再び生きることが出来る。この点に於いて、余は実に幸福と言える」
  16歳の少年が、自らの才能に大きな自信を持っていたとしても、こんなすごい言葉を日記に書き記していたのですよ。天才ですね。
  半田高校の近くに“雁宿公園”という名前の公園があります。ここは半田市きっての桜の名所で市民のいこいの場所です。公園には、大きな外灯の形をした、南吉先生の詩を刻んだ造形物があります。ここは岩滑小学校の代用教員時代に生徒を連れて遠足に来た場所なのでこの碑を建てたようです。貝殻(かいがら)をあしらった碑は外灯の土台なので、とても奇妙な形の碑ですが「悲しいときは貝殻鳴らそ 二つ合せて息吹きこめて 静かに鳴らそ貝殻を」書いたタイルが張り付けてあります。
  詩の全文を原文で書き留めておきます。(「/」は改行して書かれていることを示す記号)
  かなしきときは貝殻鳴らそ。/二つ合わせて息吹きをこめて。/静かに鳴らそ、貝がらを。/誰もその音をきかずとも、/風にかなしく消ゆるとも、/せめてじぶんをあたためん/静かに鳴らそ 貝殻を。(詩「貝殻」)
  この詩のように、南吉先生は、美しくはかない、それでいて強い意思を内に秘めた詩を多く書いた人です。人は、誰でも心の内にかかえる悲しみを、癒したり耐えたりして生きていくのです。そんな悲しみを貝殻に話しかけ、心を温めようとする南吉先生の気持を味わって下さい。
           
          (高等学校の先生をしていた南吉(借物):南吉生家:雁宿公園「貝殻」詩碑)


南吉先生記念館へ
  半田市が生んだ天才作家ですから立派な記念館が、童話『ごんぎつね』の舞台、中山という所にあります。平成6年に、生誕80年、没後50年を記念して建てられました。田園の一角に、突然、とってもモダンな建物が現れてびっくりします。二度も行って来ましたが、何時も、緑の芝生が眼に鮮やかです。
  記念館の入口では、市民から集めたアルミ缶で作製された、「ごんのふるさと中山 新美南吉記念館」の可愛らしい狐の彫像(この手紙の冒頭の写真)が出迎えてくれます。
左手の駐輪場の脇には、二匹の小さなデンデンムシを乗せた『デンデンムシノカナシミ』の詩(全文)を刻んだ碑があります。この詩は昭和10年、東京外語学校の四年生の時(22歳)に書いたもので、南吉先生の代表作です。
  「悲しみ」は南吉先生が生涯を通した考え抜いたテーマです。中学時代には自分は不幸だ、寂しい、悲しいと・・・書いた作品が多く見受けられます。が、この詩では「カナシミハ ダレデモモッテ イルノダ。 ワタシバカリデハナイノダ。ワタシハ、ワタシノカナシミヲコラエテイカナキャナラナイ」 と、どんな悲しみもそれを乗り越えて歩いて行かなければならないのだと教えています。南吉先生も大人になったのです。
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