羅臼側の下り、「羅臼岳五合目」のバス停をすぎると、急に明るくなって視界は広がった。羅臼のバスターミナルで頼んでおいた羅臼ハイヤーと無事にドッキング。先ずは「マッカウス洞窟」へ。
  海は白波を立てては居ましたが、視界はまずまず。あれが国後島かと見とれていると「マッカウスの洞窟です」と運転手が告げる。洞窟は鉄の柵で頑丈に固められ、落石のため入場禁止。入口右手の片隅に「ひかりごけ」の見学場所が設えてあったが、「本当に申し訳程度」のサンプル展示。「北海道探検家・松浦武四郎野宿の地」の案内板と歌碑「仮寝する窟におふる石小菅 葦し菖蒲と見てこそいねめ」を撮影して終わる。
  しおかぜ公園ではその名の通り「潮風」が吹いていました。それも、相当な強さで国後島から吹き寄せてくる。風に立ち向かっている戸川幸夫文学碑は“知床の賦”としてこんな言葉を並べていました。
  「遠いはるかなる地の涯 日本に最後まで残さされた古き世界 私は見た とぎすました氷の牙を 私は聞いた 冷たい朔風の挽歌を 私は知った オホーツクの海の壮厳な美しさと悲しみを とりけものたちは 彼らの習慣にしたがって生きてそして死んでいく 人間もこの半島に生きる限り同じだ
  風に吹かれ、海と対峙していると”知床の賦”が身体に沁み込んで来ました。傍らには句碑「流氷に追いつめられし岬かな」が添えられていました。
  その戸川幸夫の作品を映画化した時の、森繁久弥が扮する「オホーツク老人」像が遥かな沖を眺め、“羅臼の厳しさは想像を絶するよ”告げる。撮影の時に作詞された「知床旅情」♪知床の岬に はまなすの 咲くころ・・・♪詩碑が咲き残ったハマナスに飾られていたのは幸運でした。
  高台の「国後展望台」へ。
  途中の「百年記念公園」で戸川幸夫文学碑「“オホーツク老人”“三月も終りに近づくと 海は動きが見えだした/氷盤はだんだんと陸を嫌って・・・」に出会いました。
  厳寒の地で独り番屋を守った老人の姿に、到底比較にはならないと思いつつも、愚直に老いを歩む己を重ね合わせるひと時でした。
  地元俳人たちの句碑群を、エゾシカの糞に悩まされながら調べ、更に登って展望台へ。
  羅臼の市街地が眼下にくっきりと沈み、国後島には手が届かんばかりで、「地の果て」まで来た感興が風に運ばれてきました。北方担当大臣になった気持でじっと国後島を眺めて来ました。
戸川幸夫の「オホーツク老人」は「地の果てに生きるもの」として映画化され、一世を風靡した「知床旅情」の歌を生み出し、秘境知床のブームを作った作品。知床半島といえば、今でも、厳しい寒さが連想されるが、半世紀前の知床半島は「秘境中の秘境」。厳寒の知床半島にたった一人残されて番屋を守る「留守番さん」と呼ばれる老人・彦市。原始の厳寒地にたくましく生きる野生の鳥獣たちと共に孤独な老人の一冬を描いた短編。
          
    (羅臼しおかぜ公園・戸川文学碑:同左・「知床旅情」歌碑:羅臼百年記念公園・戸川文学碑)
  羅臼発ウトロ行のバスには、たった4人の乗客。知床峠の眺望を楽しみに登り続ける。が、またしても、5合目から先は霧の中。「羅臼湖入口」バス停から乗り込んで来た4人組の厳重な装備はびっしょり濡れていた。
  ♪別れの日は来た 羅臼の村にも 君は出て行く 峠を越えて・・・(「知床旅情」)♪、と霧の峠を下って知床自然センターへ。バスを乗り換えて知床五湖に向いました。

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