船山馨が『見知らぬ橋』で描いた流氷の世界。「単純で力強くて、怖ろしいほど美しいもの」、「風景というものの起源」の中に立って「戦慄のなかの陶酔」を、一度は、味わって見たい誘惑にかられながらバスの揺れに身を任せていました。
船山馨(1914−1981)札幌生。明大中退。北海道新聞記者。戦後、椎名麟三、野間宏らと並ぶ第一次戦後派として活躍。数々の作品をのこしたが、中でも、北海道開拓歴史のロマン『石狩平野』、幕末の京都・寺田屋の女主人を描いた『お登勢』、恋愛小説の傑作『見知らぬ橋』、函館のレストラン・五島軒の初代の夫婦をモデルにした『蘆火野』、そして、遺書のつもりで書いた最後の作品『茜色の坂』(吉川英治文学賞)などの作品は何度も読み返して愛読書となった。いしぶみ紀行「茜色の坂」でもご紹介した最後の作品は老いを歩く人の参考書です。
  網走駅前で車を拾い、市内のいしぶみを訪ね廻りました。
  この地に流れ着き、アイヌの人々とは異なる固有の文化を築いた先住民・モヨロ人の貝塚の発掘に立ち会った金田一京助歌碑「おほつくのもよろの浦の夕凪に いにしよしのび君とたつかな」、網走港の三号埠頭ある高野素十句碑「鯨解く鯨の脂燃やしつつ」などです。捕鯨基地でもあった網走港には、最盛期には年間百頭を超えるクジラが捕られ、それを処理する解体場があったと運転手が教えてくれました。


  網走のいしぶみは終えて、知床行きの特急バスでウトロまで飛びました。
  バスの乗客はたったの7人。暮れなずむ小清水原生花園を通り、斜里知床の町を5kmほどの直線道路で抜け、知床半島に沿って海岸線を走る道路の25kmは“素晴らしかった”の一言です。薄曇りに変ったオホーツクの海は時間と共にと黒さを増し、やがて、ほんのちょっぴり夕焼けを見せてくれました。一時間のドライブはあっという間でした。


くるくる変る天候の知床半島を歩く
  早朝、漁にでる人々の車の音で目覚めました。漆黒の闇に漁の準備をする漁船の煌々と輝く光。やがて、赤色灯をひと際鮮やかに灯して次々と出港。暗い海の上に線香花火のように光が並ぶ風景。早起きは幻想的な風景を見せてくれました。
  外が明るくなったが雲は厚く、重く、オホーツクを覆っている。鴎が騒がしい。
  遊覧船の事が気がかりでフロントに降りると「風が強く、波が高いので、午前中の出航は中止となりました。申し訳ありません」とのこと。出発が遅くなったので、最後の一日に備えて、体力を温存。
  港中央に腰を据えるオンコロ岩のトンネルを抜けて遊覧船乗り場へ。
  小雨と強風の中、江戸期の北海道探検家・松浦武四郎碑「山にふし海に浮寝のうき旅も 馴れれば馴れて心やすけれ」と森繁久弥「知床旅情」詩碑を調べる。「ゴジラ岩」の奇妙な容姿にカメラを向け、ほうほうの態でバスターミナルへ急ぎました。
  羅臼行きのバスはたった乗客5人を乗せて出発。
  プニュ岬から峠越えの道に入ると霧が下りて来て、視界は100m。バスは右に左に曲がりながら高度を稼ぐ。晴れていれば羅臼岳を臨む絶景の知床峠と聞いてきたが、如何せん、何も見えず。運転手が気を利かせてか、「知床峠」のバス停で態々扉を開けてくれた峠の駐車場には十数台の自家用車。小雨と霧の中のトレッキングを強行している連中の車なのでしょうか。
          
                         (少しだけの羅臼岳:国後島遠望:羅臼の町)
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