流氷館から更に奥の「はな・てんと」へバスを乗り継ぎました。スキー場に設えた夏季限定の花園で1haほどの緩斜面に「赤と青のサルビア」「黄色のマリーゴールド」・・・が見事なグラデーションを描き出していました。
  NHK北見放送局のクルーのインタビューを受けるという貴重な体験もいたしました。   「どちらから」「この花園は如何ですか」「間もなく秋。今年の秋の楽しみは」・・・と矢継ぎ早に質問が来る。「秋はやっぱり旅でしょう。旅は気持を若返らせてくれますから」と応じ、少しはお世辞をと「生田原の文学碑公園の素晴らしさ」を宣伝して来ました。
  「誠に申し訳ありませんが、この番組は“つながるオホーツク”で道東の皆様にしかご覧いただけません」とのことで、残念ながらご覧いただくことは出来ません。
          
               (網走監獄博物館入口:流氷館のクリオネ(中央の赤い点):はなてんと)
  司馬遼太郎や渡辺淳一の著作に惹かれて、網走駅から常呂方面へバスで20分の所にある、能取湖湖畔のサンゴ草見物に出かけて参りました。
  「サンゴ草入口」バス停で下車すると、民家の裏側がすぐ能取湖のサンゴ草群生地。   湖畔の湿地帯が赤く染まっていました。でも、観光写真で見た「深紅」ではありません。曇天の所為なのか、未だ盛りの時期ではないのか、来た人は口々に期待外れだと呟く。掘立小屋の案内所で尋ねると「今年は酷暑のため色付きが悪いのです。今が最盛期に近いと思います。申し訳ありません」とのこと。
  如何にも申し訳なさそうな顔でしたので「焼きトウモロコシ」を買ってあげたら、お土産にと、渡り鳥が逆V型の編隊で渡って行く風景を見せてくれましたよ。
「サンゴ草の学名はアッケシ草という。釧路管内の厚岸で初めて発見されたためこの名がついた。淡水と海水が入り混じった汽水湖畔に育ち、秋になると紅サンゴの色になるのでサンゴ草ともいう。十センチか二十センチの丈で、一本では先の方がやや赤く見えるが、群生するとまるで真紅の絨緞である。・・・サンゴ草の緋毛氈は、厳しい北国に住む人々に、自然が与え給うた、最後の安らぎ・・・(渡辺『みずうみ紀行』)「赤い原は卯原内という所である。川の名でもある。卯原内川。ウバラナイとはアイヌ語で、河口が死んでいるという意味らしい。行ってみると、まことにそうで、河口が死んだあたりが湿原で、ただ一種類の草でおおわれている。(司馬・『オホーツク海道』)」
        
                               (能取湖サンゴ草)
  オホーツクの流氷はご覧になられましたか。
  網走行きのバスは、少し遠回りして、田宮虎彦が「日本の岬の中でもっとも雄大な岬(『オホーツク海岸をゆく』)」と絶賛した能取岬の途中まで走りました。厳寒期にこの先を辿れば、流氷に逢えるのだそうです。
  生田原文学碑公園の船山馨文学碑にあった名文を借りるとこんな具合です。
  「名緒子は眼を奪われた。遥かな沖に、黒い海の色があるにはあった。だが、その黒い帯状の海に行きつくまでは、いちめんの氷の荒野だった。海岸に近いあたりは、押寄せる流氷の圧力に砕かれて、盛りあがり積み重なった氷塊が、おびただしい白い岩石の山をつくっている。それは、海というよりは、途方もない規模をもった火山の溶岩の累積が、雪に覆われて展開しているかのように、名緒子の眼には映った(「見知らぬ橋」
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