摩周駅で乗ったバスは摩周岳を目指して一気に高度を上げ、摩周湖第二展望台の階段を登ると眼下に摩周ブルーが待ち受けていました。
  摩周湖を見た誰もが忘れられないあの青です。湖面に浮かぶ小さな島、周囲を取り巻く原生林、ひと際高く聳える摩周岳・・・と絵葉書そっくりの絶景に息を呑みました。  湖面から吹きあがって来る風が、爽やかで、優しいひと時でした。
  摩周湖と反対側のパロラマも見応えがありましたよ。噴煙を上げる赤茶けた硫黄山を真ん中に置いて、その背後に怪獣「クッシー」の住む屈斜路湖、遠くに見幌峠、左手遥か遠くに阿寒の山々・・・、運転手が日本随一の大カルデラと自慢するだけのことはありました。
  第一展望台へ戻ると観光客が群れをなし、記念撮影は順番待ち。摩周ブルーに酔いしれた結果、永平泰禅の漢詩碑を調べることを忘れてしまい、バスに乗り込んでから遠望すると云う大失敗で摩周湖は終りました。
       
                                     (摩周湖展望)
  摩周湖のある弟子屈町に点在する文学碑めぐりが今日の仕事でした。
  弟子屈公民館に、開拓移民として北海道に渡り活躍した、細谷源二の句碑「今年また山河凍るを誰も防がず」、この地で生まれ北海道を代表する詩人となった更科源蔵の詩碑「もうおまえは忘れているかもしれないが あの時 ほうかむりして開墾地の隅で なきじゃくっていたのは 私だよ 雲よ・・・(詩「雲」一節)」を訪ねました。何れも風格のある碑でこの地の人々の作者に寄せる愛情が感じられます。更科源蔵の名前や、町から遠く離れた生家さえもタクシーの運転手が知っていたのには驚きました。
  近くの摩周温泉・ニュー子宝ホテルの前庭に細谷源二句碑「地の果てに倖せありと来しが雪」を訪ね、高浜虚子の句碑を見るために、車で郊外の桜丘森林公園まで走ってもらいました。
  この碑の建つ場所の特定には苦労しました。何度も電話で尋ね回った結果、漸く、森林公園の駐車場奥であることが判明。「駐車場に車を停めて歩いて2−3分です」と所在地のイラストマップが送られてきました。そのマップを頼りに探しまわりましたが一向に出会えない。親切な運転手が役場に電話してくれて、漸く、駐車場の右手の林の中の小さな鐺別神社の広場で木漏れ日を浴びている句碑を見つけました。
  2mを越える巨石に「沢水の川となりゆく蕗の中」と虚子の手が躍る。傍らの案内板には「昭和8年摩周湖見物に来遊、当地に投宿の折の詠」とありました。周囲の木々には秋の気配が忍び寄る静かな園地でした。
  最後に、今は寂れて民宿一軒になってしまった、鐺別温泉の旅館跡に伊藤柏翠句碑「摩周湖は涼し太古の色のまま」などを訪ねて駅に戻る。予定していた摩周駅の足湯に入る時間は残されていませんでした。


  摩周駅から二つ先の川湯温泉駅に下車。川湯温泉までの途上、硫黄山(アトサヌプリ)の展望地に立ち寄ってもらったのは小説『挽歌』の匂いを嗅ぐためです。
  駐車場に車を停めた観光客は三々五々煙を吐く火口まで歩いている。強烈な硫黄の匂いが風に運ばれてくる。時間が限られていたので、硫黄の匂い嗅ぎ、『挽歌』の一節(「アトサヌプリは、暗い夜の高原のなかに真白な煙を噴きあげていた。その煙はわたしの眼に、デエモンの吐く太い溜息のような、不気味で悲劇的なものに映ったのである・・・」)を思い起こすだけで火口見物は我慢せざるを得ませんでした。
                          −p.04−