大津の芭蕉
  高月の駅で、一時間に二本の電車を待つ間に、琵琶湖にゆかりの深い芭蕉の事を思い出していた。
  芭蕉は琵琶湖の周辺をこよなく愛した様で各所に句碑が残る。(因みに、滋賀県には500強の文学碑があるが、その内115基は芭蕉)各地に立ち寄っただけではなく、大津の郊外に幻住庵を構え、永眠の地に大津を選ぶほど惚れ込んでいる。
以下に、2008年5月に訪れた大津にある主な芭蕉の足跡を、その時のメモで、残しておきたい。
近江神宮の芭蕉
  比叡の山から大津市堅田近くへ降り、琵琶湖大橋を北上し、大津市小野(旧滋賀郡志賀町小野)に「小野篁神社」を訪ねた。百人一首の歌碑「わたの原八十島かけて漕ぎ出てぬと 人には告けよ海人のつり舟」が荒れた境内で流人のように潜んでいたのは、碑歌(隠岐の国に流される時の詠)に相応しい風情であった。
  時間が足りず、堅田の浮御堂をパスして、近江神宮を目指して琵琶湖西岸を南下した。
  近江神宮本殿参拝の前に、手水場左横で、保田與重郎「ささなみのしかの山路の春にまよひ ひとり眺めし花さかりかな」、など数基とご対面。中でも、保田與重郎の碑歌は「志賀の歴史と風景とを青春の旅情に託して歌い上げ、たぐいなき見事さである・・・」と親友の中谷孝雄が記した解説を読むと、「春に迷った」わが青春が蘇って来て、素直に心が共鳴した。
  眩しい朱塗りの楼門を潜り、厳粛に整備された本殿に参拝。北門近くで、芭蕉句碑「唐崎の松は花より朧にて」、天智天皇歌碑「秋の田の刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」を迷いながらも無事に発見した。
      
       (小野神社・小野篁歌碑:近江神宮・天智天皇歌碑:近江神宮・芭蕉句碑)

三井寺の芭蕉
  除夜の鐘で有名な三井寺の本堂左手には、書家・榊莫山の独特の文字を乗せて、芭蕉句碑「三井寺の門をたたかばけふの月」が座る。
  隣の円満院は三井寺の塔頭の一つであるが、代々皇族が相承する特定の寺院・「門跡」で格が高い。今は、寺院と言うより、大津絵美術館と京都御所より移築された「宸殿」、三井の名庭が著名な所である。
  受付への参道の右手に芭蕉の句碑「大津絵の筆のはじめは何仏」、左手の「宸殿」脇に行尊の百人一首・歌碑「もろ友に哀と思へやまさくら 花より外にしる人もなし」があった。(行尊:天台宗座首・三井寺で出家。荒廃した三井寺の復興に貢献)
  御所にあった宸殿はさすがに見事な建築。「投扇興」(平安貴族の遊び)の道具を並べた部屋の襖絵は狩野探幽の筆。宸殿を取り巻く庭は名園の名に恥じない。隣の建物一階には江戸の絵師・円山応挙が当山に逗留した時の遺物が展示され、二階には「大津絵」(東海道を往来する旅人に大津の宿で売られていた神仏の絵)が並べられていた。「大津絵」は初めて見る世界であったが、奇妙な絵ばかりでさほどの感慨はなかった。

石山寺の芭蕉
  「源氏物語千年祭」が行われているのを機に石山寺を再訪した。
  山門前の園地で島崎藤村の文学碑「湖にうかぶ詩神よ 心あらば/落ちゆく鐘のこなたに 聴けや/千年の冬の夜ごとに 石山の/寺よりひびく読経の こえ−石山寺にハムレットを納むるの辞−」を見る。「文学碑が立つ園地は、昔、密蔵院とその茶丈庵のあった場所。藤村は明治26年当院茶丈庵に滞在。関西漂流の旅は藤村文学を確立する意味で重要な意味を持つ」と案内されると、ああ、ここが藤村の出発点なのかと、文学碑の周りを一回りした。
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