左手の藪の前に井上靖文学碑が熱波を避けていた。巨大な苔むした自然石に「慈眼 秋風 湖北の寺 井上靖」の文字が散らばる。「慈眼」は「観音堂にある十一面観音様のお顔」のことだろうと眺める。今日は「涼風」が頬をなで気分が安らぐ。
  暫く涼風に身を任せた後、向源寺本堂横の渡岸寺観音堂へ。「無住の寺で、よほど前からお願いしておかないと、拝観することも出来なかった。茫茫とした草原の中に、雑木林を背景にして、うらぶれたお堂が立っていた」(白洲正子「十一面観音巡礼」)を読んでいたので、真新しいお堂に、一瞬、間違ったかなと思った。
  靴を脱ぎ、観音堂の扉をそっと開く。右手に阿弥陀如来の坐像、左手に十一面観音立像が鎮座する。先ずは観音様。貞観仏像の傑作の一つ、国宝・十一面観音菩薩の前に進み出て、正座する。手を合わし、今年、相次いで旅立った父と従姉弟の冥福を祈る。
  眼を挙げて遥か高見のお顔を見上げる。優しい。思っていた以上に優しいお顔が静かにいる。ことに真正面の顔、右手と中央の化仏の顔がお優しい。
  音もなく扉を開けて案内の人が入って来た。
  「この仏様は、長い間、渡岸寺の村人の信仰を集め、大切にされて来ました。ご存知の織田・浅井両家の大合戦、姉川の戦いの時には、戦火を心配した村人が、地中に埋めて守ったと伝わっています。その努力の甲斐あって、七堂伽藍はことごとく戦火で消え去ってしまったのですが、観音様だけはあの細い指さえも見事に護られ現在のお姿となっています」
  「渡岸寺観音堂の“渡岸寺”は当地の字名でお寺の名前ではありません。当初の寺は消滅して、今は、その後に建立された“向源寺”の管理のもとにありますが、人々は決して向源寺の観音様とは呼びません。この仏様は渡岸寺の観音様なのです」
  「材質は檜の一木造りで、ひび割れを避けるための工夫が何か所にも施され、当初の金箔は剥がれたものの、今尚、彫刻された当初のお姿を留めています」
  言葉の一つ一つには、永くこの地に受け継がれてきた、熱がこもっていた。
  「ごゆっくりご覧下さい」との言葉を最後に、村人は消えた。鎮まり返った堂宇の中で、持参した、井上靖の名文をよむ。
十一面観音像の前に立つ。像高194センチ、堂々たる一木造りの観音さまである。どうしてこのような場所にこのような立派な観音像があるかと、初めてこの像の前に立った者は誰も同じ感慨を持つことであろうと思う。胸から腰へかけて豊な肉付けも美しいし、ごく僅かにひねっている腰部の安定した量感も見事である。顔容もまたいい。体躯からは官能的な響きさえ感じられるが、顔容は打って変わって森厳な美しさで静まり返っている。頭上の仏面はどれも思いきって大ぶりで堆く植え付けられてあり、総体の印象は密教的というか、大陸風というか、頗る異色ある十一面観音像である。・・・時代的に見れば法華寺の十一面観音と並ぶ貞観彫刻の傑作ということになる。
  本来、仏像だから性別はない。が、この観音様は確かに女性であった。ただ、井上靖が書いているように、身体と顔が違って感じられた。
  名残を惜しんで靴を履いた。今一度、井上文学碑に立ち寄り、また、熱風の中へ漕ぎだした。その顔は、きっと、さきほど出逢った老婦人と同じように、念願が叶って、輝いていたに相違ない。
  村中の道を、田圃の疏水に導かれて、辿る。高月観音堂のある大圓寺は、観光客には見捨てられていた。が、村人たちは懸命に護っているようで、訪れた時も、清掃する人が懸命に手を動かしていた。この観音様は事前の予約がないと見せてもらえないので、簡素な山門手前の芭蕉句碑「たふとがる涙やそめて散る紅葉」だけを調べて引き上げた。
            
            (高月図書館・井上碑:渡岸寺観音像(借物):渡岸寺・井上碑)
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