蝉が降る彦根城では見事に咲いた蓮の花がずらりと勢揃いして出迎えてくれた。
  回遊式庭園で、池畔から見上げる天守閣の美しさが売り物の、玄宮庭園を覗き、近くにあった井伊大老像と井伊文子歌碑「一身に責負いまして立ちましし大老ありてこそ開港はなりぬ」を見る。横浜の掃部山公園から港を見下ろしている井伊直弼像を思い出しながら一休みする。
  その直弼を主人公にした舟橋聖一文学碑を調べる。御影石でハスの花を模した造型の中央に「花の生涯」とだけ題名を記した簡素な文学碑であった。
  一汗かいて、図書館正面にある木俣修(滋賀県生)歌碑「城のまちかすかに鳰(にお)のこゑはして ゆきのひと夜の朝明けむとす」を調べ、表門橋から、ひょうきんな「ひこにゃん」の出迎えを受けて、天守閣へ。
        
            (彦根港・小口歌謡碑:彦根城・井伊直弼像と文子歌碑:同左・舟橋文学碑)
  大勢の観光客と一緒に急な表門坂を登る。鐘の丸と天秤櫓を結ぶ廊下橋を見上げる顔に汗が滴る。正午を告げる鐘が音が頭上から降って来る。
  廊下橋畔の桜の大樹脇に蕪村句碑「鮒ずしや彦根の城に雲かかる」。春の見事な景観は見て見たいが、腐った臭いの「鮒ずし」は遠慮したい。
  ここまで来ると天守閣まではあと一息であった。本丸に登ると「霧のシャワー」のおもてなしでほっと一息。
  見上げる国宝・天守閣(三層、三重)は曲線の美しい建築でしばし見入る。慶長時代(400年前)の建築とは到底思えない若々しい姿に圧倒された。
  本丸の片隅から、眼下に展開する景色を堪能。北東の伊吹山が遠くに霞む。その麓の辺りが姉川の古戦場か。真北の方角が古戦場・賤ヶ岳だと見当をつけ眼を凝らす。その手前に琵琶湖が銀色に輝く。湖中には竹生島らしきものが浮ぶ。蝉の声がまとわりつく中、暫く、吹き抜ける涼風に身を預けた。


湖岸の十一面観音様
  彦根から米原へ。米原から北陸線に入って、田園地帯をひた走る。
  高月駅は新装なったばかりの簡素な駅。名所となった渡岸寺の観音堂を訪ねる人が多いのか、駅前には立派な観光案内所。この熱風の中なので自転車を借りて出発。
  高月図書館の玄関前には巨大な井上靖文学碑が座っていた。碑面の題字「聖韻」は読めるが、後に続く碑文は光が反射して、読みづらい。図書館に駆けこんで碑文の写しを入手した。そこには図書館玄関前に立つ、「茉莉花」と題する女性像−井上靖氏の友人で彫刻家・舟越保武氏の作品−に寄せた靖の文があった
  「有名な渡岸寺の十一面観音像を初めとして、沢山の衆生済渡の仏さまたちが、静かに立たれたり、お坐りになったりしている古い町。琵琶湖を隔てて、遠く比良山系を望める美しい町、高月。平成の新しい時代を迎えてからのある日、そこの明るい広場、町の聖地に、一つの事件が起った。・・・
  井上文学碑の周りの茂みを丹念に探すと思わぬお土産をいただいた。井上ふみ夫人「夫靖が好んだ欅の木 井上ふみ」、「樟 欅 椎 楢 木々の若葉ばかりの本の部屋 司馬遼太郎」などが木陰で憩っていた。(この図書館が新設された時の記念の色紙を碑に仕立てたものか)
  嬉しい土産を自転車に積んで、見送ったばかりの父が絶賛した、観音様に逢いに走った。
  曲がりくねった昔の細道を辿ると、小さな森。レンタサイクルを漕ぐ老婦人が森から出て来た。長年の願いが叶って、観音様にお会いした喜びが顔一面に広がっていた。期待が一層高まった。
  森閑とした向源寺の境内に踏み込む。杉木立の先の方が明るい。その光に向って息を整えながら歩く。
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