いしぶみ紀行・京の春
花園でさくらに酔う(法金剛院)
4月初めに醍醐の花見を満喫したばかりであったが、今一度、京都のさくらを・・・との想いで、都で名高い“待賢門院さま”に逢いに出掛けた。
JR嵯峨野線・花園駅のすぐ北側が法金剛院。小さな門を潜ると老婦人が笑顔で迎える。椿が花弁を散らした参道を進むと、目前に浄土庭園が現れた。待賢門院が極楽浄土として作庭した回遊式の庭園で、“苑池”に咲く蓮の花が有名だが、今日はさくらだ。
左手を見ると眼の覚めるような世界が広がっている。“待賢門院桜”と呼ばれている枝垂れ桜だ。本堂前のひと際大きい一朶が周りを桃色に染め揚げている。侍女の桜たちがその周りを囲んで立ち並ぶ。一朶の紅枝垂れを予想して来たので度肝を抜かれた。まさに極楽浄土の再現だ・・・と高鳴る鼓動を抑えきれない。
垂れ下がる紅の御簾をあげると、左手奥に巨岩を並べた「青女の滝」、その右手に青御影石の待賢門院・堀川の百人一首歌碑「ながゝらむ心もしらず黒髪の みだれて今朝は物をこそ思へ」が現世同様に待賢門院を見あげる。何時もなら花をそっちのけにして歌碑に熱中するのだが、満開の桜に心は乱れるばかり。
気を鎮めるべく、簡素な造りの本堂に昇る。新装なった「仏殿」で本尊の「阿弥陀如来坐像」を拝む。脇の十一面観音像は見事な厨子に入った珍しい坐像で優しかった。
名残を惜しんで池端を巡り、何度も、待賢門院さま御一行とお別れのご挨拶を交わした。
(法金剛院・待賢門院さくら:堀川歌碑:紅枝垂れ)
初めての写経(西芳寺)
JR嵯峨嵐山駅から渡月橋まで、人込みを掻き分け、橋の上から山桜の風情を楽しんで車を拾った。 少しだけ桂川の堤防を走ってもらい、今年の初めに寒風に身を晒しながら訪ねた、嵐山東公園の百人一首歌碑群(21基)を眺めて、桜吹雪のトンネルを抜け、西芳寺門前で車を降りた。
小川に沿って西芳寺の入口まで、鎌倉の谷戸を歩く気分を味わう。小川の向こう岸の総門は扉を閉ざしている。その横に虚子句碑「禅寺の苔をついばむ小鳥かな」が座る。近付こうにも厳重な柵。遠くから眺め、シャッターを何度か押して、悔しい思いを残した。
拝観・写経料3千円を支払うと、本堂に案内された。広間ではもう20名ほどの先客が写経を始めていた。 「間もなく般若心経の読経が始まります。ご一緒にお唱えください。その後、写経をお始め下さい。写経はご本尊にお供えくだされば、供養の後、当寺で保管させて頂きます」と案内の修行僧が説明。足の悪い人のために廊下に椅子席も少しだけ用意されていたので連れはそちらに座った。
広い本堂に導師と諷経3人の声が響き渡る。大きな文字で印刷された「般若心経」を辿るが、なかなか僧侶の早さに追いつかない。しどろもどろになる。三度の繰り返しが終ると、広い本堂は静寂に包まれる。50人近くに増えた参詣者は一心不乱に写経に打ち込む。外国人も10人近くいる。
初めての写経であった。なるほど、心が鎮まり、緊張感が身体を包む。経文を書いたお手本を下敷きに、専ら、それをなぞって書くだけだが、難しい漢字には手を焼く。予習して来た般若心経は、丁寧な解説を読んでも、一向に判らなかった。ただ、「羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶」(智慧よ、智慧よ、完全なる智慧よ、完成された完全なる智慧よ、悟りの安らぎが成就されます様に)の真言の呪文の所だけは、大切な所だと教わったので、丁寧に筆写した。
「お時間のない方は、途中でも結構です。自宅にお持ち帰り下さって後日お送りいただければ供養いたします」との粋なはからいに、救われたのは、正座が苦手な外国人だけではなかった。こちらも、大佛次郎文学碑見たさに、急いで、仕上げにかかった。
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