いしぶみ紀行・沼津


  冬日の中から悲しみと寂しさが飛び出して来た。
  「あとひと夏 あとひと冬」と生を紡いできた父の強靭な心臓は、38億回の驚異的な脈動を打った後、静かに止まった。時間が津波のように押し寄せては引き、父の二七日(ふたなのか)が近付いてきた時、早い春が一日だけ訪れた。これを逃してはまた冬籠りだと、寂しさをはねのけて飛び出した。
  小田原では姿を隠していた富士が、県境の丹那トンネルを抜けると、端麗な姿を現した。沼津駅前の井上靖碑「若し原子力より大きい力を持つものがあるとすれば、それは愛だ。愛の力以外にはない」を再訪し、沼津市街地に繰り出した。
  魚町の狩野川は冬枯れで水量は少なかった。川畔に建つ高層の静岡新聞社ビルに張り付くように、井上靖文学碑が春の陽気を避けて蹲っていた。白御影石に黒御影石を組み合わせた簡素なデザインが気に入った。碑面には自伝的小説「夏草冬濤」から、この辺りの風景の描いた一節が刻まれていた。
御成橋の上から見る眺めも、いかにも都会の川といった感じで、橋付近の両岸は人家や倉庫で埋められている。その人家や倉庫の列が切れると、上流の方は青草に覆われた堤になり、川筋はゆるやかに大きく身をくねらせて視野から消えている。そして下流の方は少しずつ川幅を広くし、河口らしい貫禄を示して来る。しかし、洪作が狩野川を日本で有数の美しい川であると信じているのは、この沼津の街中を流れている狩野川のゆったりとした姿態の美しさのためではなかった。御成橋の上に立って、上流の方に目を遣る時、洪作はいつも天城山に源を発している狩野川という川の、その長い一本の川筋が目に浮かんで来るからであった。
  狩野川に架かる御成橋を渡る。沼津の学生時代に“遊び惚けた”井上靖と共に四囲を眺める。
  北に雪の富士、東に箱根連山、南に天城の山々が悠然と広がる。狩野川に眼をやると、そこに「白い河床」が浮ぶ。
  今一度、天城の山々に眼をやる。頭を出している万三郎岳、その山中に眠る靖の「猟銃」の詩碑が、鮮やかに、蘇って来る。
  この狩野川の上流、細い流れを歩く中年の男の見た「白い河床」とは一体何であったか。父を失ったこれからは、あの猟銃で武装した男同様に“ゆっくりと、静かに、冷たく”歩けばいいのか、如何なる“銃”で身を守ればいいのか、と思案を重ねながら、流れを渡った。
  沼津市文化ホールまで、春の陽気で身はぽかぽかの道中であったが、心は少し重かった。


  なぜかその中年男は村人の顰蹙を買い、彼に集る不評判は子供の私の耳にさえも入っていた。
  ある冬の朝、私は、その人がかたく銃弾の腰帯をしめ、コールテンの上衣の上に猟銃を重くくいこませ、長靴で霜柱を踏みしだきながら、天城への間道の叢をゆっくりと分け登ってゆくのを見たことがあった。
  それから二十余年、その人はとうに故人になったが、その時のその人の背後姿は今でも私の瞼から消えない。生きものの命絶つ白い鋼鉄の器具で、あのように冷たく武装しなければならなかったものは何であったのか。私はいまでも都会の雑踏の中にある時、ふと、あの猟人のように歩きたいと思うことがある。
  ゆっくりと、静かに、冷たく――。そして、人生の白い河床をのぞき見た中年の孤独なる精神と肉体の双方に、同時にしみ入るような重量感を捺印するものは、やはりあの磨き光れる一箇の猟銃をおいてはないかと思うのだ。
(靖の作品の中でも愛読した詩集「北国」所収の詩「猟銃」
        
    
   (魚町・井上文学碑:文化ホールからの富士:文化ホール前庭・井上.芹沢碑:天城山中・井上「猟銃」詩碑)


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