突き止めた文学碑は、檀が降り立った旧宝泉寺駅舎の前にひっそりと座っている。1m程の白御影石に小さな黒御影石の銘板を嵌め込み「・・その宝泉寺と云う貧寒な駅に降りたった。人っ子一人いないこんな淋しいところに温泉宿があるかとしばらくいぶかった程である」と刻まれ、今尚、ひなびた雰囲気が残る小さな温泉地で、誰からも見向きもされずに寂しげであった。
          
  宝泉寺温泉から大分自動車道九重ICへ。そこから高速を走りに走って大分空港に着くと、待ちかねたように、日が落ちた。
  訪ねた文学碑は三日間で73基、駆け巡った距離は550km、写真は500枚超える大収穫で旅は終わった。(完)


  (付録)帰宅後、阿蘇艸千里を背景にした三好達治の詩の写真を作り、若き日に「艸千里」への旅を語り合った、逝いた友に、「われ一人齢重ねて阿蘇の原 ともに紡いだ夢ここにあり」の一首を添えて贈った。


       


       漱石が難渋したススキが原と中岳火口
           

                                       -p.05完−