須賀川の総鎮守である神炊館神社(おたきやじんじゃ・別名:諏訪神社)に向かって歩く。宮の辻交差点で、信号を待つ間、何気なく周囲を見渡した時であった。市原たよ女句碑「めかくしをとればひゝなの笑顔かな」が微笑みかけて来た。市原たよ女は、加賀千代女と並び称される江戸期の女流俳人で、後で訪ねる十念寺の芭蕉句碑を建てた人なので奇遇を喜ぶ。
  神炊館神社は、芭蕉が参詣し、句を奉納した神社である。現在NHK大河ドラマ「天地人」で活躍する上杉景勝が寄進した石鳥居を潜ると、参道左手で、早速、「奥の細道・諏訪神社」の記念碑、更に、その先には、芭蕉の「うらみせて涼しき瀧の心哉」(日光「裏見の滝」での詠で、参拝の時に芭蕉が奉納した真蹟を碑に刻む)と「曾良の随行日記・須賀川」を刻んだ、立派な「奥の細道文学碑」を発見した。平成18年に建てられたもので、保有するリストにない新発見に胸が騒いだ。文学碑を取り巻く三基の石灯籠には元禄の年号が彫られている。きっと、芭蕉も見たに違いない・・・と、思わず辺りを見まわした。今日は6月3日。6月9日に到着した、芭蕉が居る筈はなかった。虚子句碑を探して本殿横の木立の中をさまよう。荒れ果てた奥宮の参道右手に、「里人の松立てくれぬ仮住居」が見捨てられていた。
  帰りの参道で、須賀川の俳句結社「桔槹吟社」(きっこう:はねつるべ)の道山草太郎の句碑「秋風や一盞(ぜん)の風酒にひびきあり」に出逢う。正岡子規「はて知らずの記」の須賀川の一節に「須賀川に道山壮山氏を訪ふ。此地の名望家なり。・・・古来此地より出でたる俳人は可伸、等窮、雨考等なり・・・」と道山氏が登場する。子規が訪ねた「道山壮山」は明治期の当地俳人。「道山草太郎」は「福島県出身で、明治30年の生まれ」。果たして、「その関係や如何」と空想をたくましくしながら、次の目的地、長松院まで歩く。
         
          (写真:博物館・芭蕉句碑:宮の辻・市原たよ女句碑:神炊館神社・芭蕉文学碑)
  江戸期の須賀川の俳人の中心に座り、芭蕉の「奥の細道」にも登場する相楽等窮を訪ねて長松院の山門を潜る。山門には等窮の俳句を門燈に掲げている。本堂前には、豪勢な等窮の句碑「あの辺はつく羽山哉炭けぶり」が建っていた。残念ながら、流暢な草書体の文字は読み切れなかった。傍らに建っていた「相楽等窮墓」の矢印標識に導かれ、本堂裏手の墓地に廻る。さすが当地の名家だけあって、墓は墓地入口の一角を堂々と占めていた。ひときわ大きい墓碑には「向雄萬埽居士」と骨太く彫られていた。
         
                   (長松院:本堂:同左・相楽等窮句碑:同左・相楽等窮墓
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