♪ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ 今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる 夏の ひざしの中で・・・♪は優れた反戦の歌、一度聞けば忘れられない歌だが、かつての激戦地の青空の下で出逢うと、一層、身が引き締まる思いであった。
北上して、真壁城址で地元の俳人の句碑を探し、那覇市・識名園(王族別荘)に走ってもらった。前田さんは旅人の無聊を慰めるべく、「海を埋め尽くした艦隊から普天間飛行場近くに上陸し、東シナ海と太平洋の両海岸に亘って蟻の這い出る隙間もなく展開した米軍。圧倒的に兵力と武器に勝る米軍は日本軍を南へ南へと押し籠めて行く」と悲痛な面持ちで子細に語る。丘の形が猛攻撃で変わり果てたこと、焼きつくされた家々の中で、唯一残った知念さんの家はこの近くだとも告げる。そう言えば34年振りに帰省した山之口貘が「昔の記憶につながるものがなかったほどの変り方で、“でいごの木”など、ついに一本も見かけなかった・・・」と沖縄戦の凄まじさを書き残していた。
那覇市の首里城と谷を隔てた南の丘の上にある琉球王朝の別荘・識名園を訪ね、那覇の中心部に入る。最後に、バスターミナル脇の地元の歌人の歌碑と真教寺の石川啄木歌碑「新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど」(この歌碑は沖縄の歌人で、啄木の親友・山城正忠の遺志で建立)を案内してもらい、今尚、戦争の傷痕を抱えながら“新しき明日”を信じている前田さんと別れた。
到着したホテルのロビーで沖縄特産“オオゴマダラ”蝶の出迎えを受け、南の海に沈みゆくと夕陽を眺めた。69年間育ててくれた巨大な太陽が、70歳の幕開けに向かって、ひと時、雲間に隠れて行く光景にちょっぴり感傷的になりながら、「戦争」の一日は終わった。
70歳の誕生日の朝を異国のホテルで迎えた。この所毎朝やって来る花粉症は一体何処に・・・と感じながら起床。窓の外は真っ暗。本土との時差一時間。“待てど
暮らせど”日は昇らず。痺れを切らせて、暗闇の中へ、4kmの朝練に飛び出した。
人通りのない暗闇を歩く。地図と己の五感だけが頼り。ひたすら泊大橋近くの琉球歌碑を目指す。やっと夜が白み始めた時、工事小屋の陰に発見。漸く始まった朝の散歩の人々と挨拶を交わしながら、丘上の波之宮へ登る。那覇随一の神社だけに社殿は豪勢。参道で釈迢空歌碑「那覇の江にはらめきすぐる夕立は さびしき舟をまねく濡しぬ」を見つけ、碑面と対峙した。黒御影石に額を作り、磨き出した碑面には迢空の流れるような筆跡が朝日に光っていた。
(写真:ひめゆりの塔:さとうきび畑:那覇の夕日三景)
観光立国・沖縄−ブルーの展覧会場でリゾート気分を満喫−
たった私達二人のために定期観光バスがホテルに迎えにきて、「平和」の一日が始まった。浦添市、宜野湾市と基地の町を通り抜ける。英語に日本語を書き添えた看板が基地の島・沖縄を象徴していた。中日ドラゴンズが春のキャンプを張っていた北谷町(ちゃたんちょう)の豪勢なホテルで客を拾い、基地の町・嘉手納を過ぎると残波岬のある読谷村(よみたんそん)と恩納村(おんなそん)が続く。 戦争の匂いに代わって、リゾートの匂いが車内に入り込んでくる。北上するバスの左手車窓にはサンゴ礁の海が顔を出す。内地では見ることが出来ない海が現れる度に十数人に増えた乗客から歓声が挙がる。
−p.03− |