いしぶみ紀行:沖縄


弾を浴びた島−糸満市に戦跡を訪ねる−
  古希を迎えた記念の紀行に、日本で最後に訪れる県を選んだ。訪ねる詩人・山之口貘の詩集には「蛇皮線の島 泡盛の島 がじまる(がじゅまる)の島、ていご(でいご)や仏桑華(ハイビスカス)の花・・・(詩「沖縄よどこへ行く」)と見慣れぬ言葉が並んでいた。日本でありながら日本でない島に飛び込む覚悟で飛び立った。
  桜島の噴煙を見て、屋久島、奄美大島、沖永良部島・・・と連なる島々を眺めることが出来れば、何とか日本の国を旅している気分を味わえたのだろうが、二時間を雲の上で過し、小さなサンゴ礁が窓を横切った直後に、突然、沖縄本島が姿を現したので異国への旅の気分が高まる。更に、戦闘機が立ち並ぶ滑走路や「めんそーれ」の歓迎幕を見、厳寒の羽田から陽春の那覇を感じるに及んで、遠い国に来た実感が満ちて来た。漸く、空港出口で“沖一タクシー”の前田氏(s.12、沖縄北部生れ)の温かい笑顔に同胞の匂いを嗅いだ。
  「よろしくお願いします。沖縄は初めてです。山之口貘さんの“弾を浴びた島”を読みましたので、最初に糸満市の戦跡を訪ねたいと思います」と切り出す。
  気温20度。車窓に砂糖黍畑、琉球瓦、シーサーを期待して探す。黍畑はすぐに眼に飛び込んで来たが、琉球瓦やシーサーは見当たらない。
  「琉球瓦はもう無くなったのでしょうか」
  「沖縄は台風銀座です。瓦屋根は補修が大変なので市街地の民家からは姿を消しました」
  誰もが尋ねるのか前田さんは淀みない。そんな沖縄の風物の話をしている内に“沖縄ワールド”に到着。日本三大鍾乳洞の一つ、玉泉洞ことは秋吉台を訪ねた若き日に聞き知った。訪問に際して観光地図を探しても見つからず。怪訝に思っていたら、洞窟を含めて、昔の沖縄村、琉球ガラス工房、フルーツ園、ハブ公園などを揃えたテーマパークに変わっていた。駐車場にはハイヤーと観光バスがずらりと並ぶ。珍しい五色のハイビスカスの大歓迎を受けてキョロキョロとおのぼりさん気分。琉球舞踊の実演が賑やかな太鼓と飛び跳ねる踊りで始まり、「四つ竹」の優雅な舞、喝采を浴びた獅子の勇壮な舞・・・と続いた。異国の風情は新鮮で、目を見張るばかりであった。
  鍾乳洞への階段を下りる。民族衣装の受付嬢が「ご一緒に写真など」と誘ってくれたが、こちらは「美人の連れがいますので」と手を振る。洞窟内は想像以上に整備されていた。秋吉台のような巨大空間はなく、手の届く所に鍾乳石が立ち並ぶ風景が展開する。何万いや何億年の地球の営み、石灰岩と水の芸術の森が間近に迫って来る風景に圧倒される。危険を避けるためか鍾乳石の先端が切断されている所もある。我が身を削られたような気分で「勿体ない。一センチ伸びるのに100年はかかるのに・・・」を連発。「よくぞ激戦の地で生き残ったものだ」と話しながら、800mに及ぶ迫力満点の散歩を終えて南国に戻った。
   
                  (写真:玉泉洞鍾乳石:摩文仁平和祈念館:摩文仁海岸)
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