米子の町を目指し、高速道路を走った。黒い闇の中の疾走は緊張の連続。無事にホテルに到着してほっと一息。乾杯のグラスを挙げる。グラスは大山の紅葉に染まっていた。 (枡水高原・大江賢次文学碑:奥大山・大江賢次文学碑:御机・「早春譜」碑)
「中国山脈の稜線・天体の植民地」は真っ赤に染まる 山陰のほぼ中央に位置する米子城址の麓で眼を醒ます。部屋から見る大山の朝焼けを期待したが、カーテンの向こうは未だ暗く、歩道は小雨で濡れていた。未だ早い、と思いつつも、当地に生まれた生田春月の文学碑(*5)、少年期を当地で過ごした白井喬二の文学碑(*6)を訪ねる散歩に飛び出した。道を曲がり間違えたり、カメラを置き忘れたりの失敗を重ねたが、まずまずの収穫を得てホテルに戻った。 今日は、大山に次いで期待している井上靖を探しに、鳥取県の南の端中国山脈の稜線まで駆け登る計画。鳥取県日野郡日南町と言っても、知る人は少ない。そこが井上靖の疎開地であったことを10数年前に文学碑を調べ始めて知った。「野分の館」と称する記念館とその横の文学碑の写真を見るにつけ、伊豆天城高原、沼津、果ては、北海道まで井上靖を追っかけてきただけに、この僻地も訪れたい気持ちを抑えることが出来なかった。一番近い米子からでも電車を乗り継いで訪れるには一日仕事。車でその旅が実現する夢が叶い、旅の初めから期待に胸が膨らんだ。 県道・180号線を快適に飛ばす。昨今の道路整備の良さには感心する。問題の「道路特定財源」も、もう、使う先がないのでは・・・と思うくらいに整備が進んでいる。西伯郡西伯町から五輪峠越えで日南町に入った。峠の天辺から日南町役場へ転がり落ちる途中、日南湖(ダム湖)で凄い秋色に出会って車を休ませた。道路に沿って、どうだん躑躅が一直線に赤を並べる。橋の上からは周囲を見渡すと「ようこそ、遠路遥々、日南町へ」と見事な秋景色が歓迎の旗を振る。人里離れたこの地で、地元の僅かの人と偶に訪れる訪問客のために、一生懸命に輝く木々たちの姿は、鍵掛峠の輝きに匹敵する見事さであった。 名残を惜しんで、坂を下り、日南町役場の脇を通って、伯備線・上石見駅を目指した。カーナビは石見西小学校まで連れてくれた。さて、ここからはカーナビなしだ・・と緊張を高める。役場で教わり、丹念に地図を眺めた、農道を辿る。急斜面を駆け登ると、“天体の植民地”と井上靖が名付けた、日南町神福の部落が眼下に広がる。写真でお馴染になった「野分の館」が天を指さすようにきりっと建つ。折よく、村の人が掃除に訪れていた。 館から見学する。昭和60年に日南町が建設した、小さいながら頑丈に作られた六角堂風の洒落た建物。二重に作られた館内の展示室の入り口には「井上靖先生は、昭和20年6月、ふとした縁から、戦火を避けて、この地、日南町神福に家族を疎開させられました。 p.03へ −p.04− p.05へ |