米子の町を目指し、高速道路を走った。黒い闇の中の疾走は緊張の連続。無事にホテルに到着してほっと一息。乾杯のグラスを挙げる。グラスは大山の紅葉に染まっていた。
     
     (枡水高原・大江賢次文学碑:奥大山・大江賢次文学碑:御机・「早春譜」碑)
(*4)「絶唱」は大江賢次の代表作。昭和32年に発売された帯には「至高の青春純愛小説の金字塔」と宣伝されて、一躍、ベストセラーとなった。その後、浅丘ルリ子、泉雅子、山口百恵とその時代を代表する可憐な少女役にぴったりの女優を得て、三度も映画化され、人々の記憶に残る作品となった。筆者も青春の真っただ中で読んだ記憶が残る。


「中国山脈の稜線・天体の植民地」は真っ赤に染まる



  山陰のほぼ中央に位置する米子城址の麓で眼を醒ます。部屋から見る大山の朝焼けを期待したが、カーテンの向こうは未だ暗く、歩道は小雨で濡れていた。未だ早い、と思いつつも、当地に生まれた生田春月の文学碑(*5)少年期を当地で過ごした白井喬二の文学碑(*6)を訪ねる散歩に飛び出した。道を曲がり間違えたり、カメラを置き忘れたりの失敗を重ねたが、まずまずの収穫を得てホテルに戻った。
  今日は、大山に次いで期待している井上靖を探しに、鳥取県の南の端中国山脈の稜線まで駆け登る計画。鳥取県日野郡日南町と言っても、知る人は少ない。そこが井上靖の疎開地であったことを10数年前に文学碑を調べ始めて知った。「野分の館」と称する記念館とその横の文学碑の写真を見るにつけ、伊豆天城高原、沼津、果ては、北海道まで井上靖を追っかけてきただけに、この僻地も訪れたい気持ちを抑えることが出来なかった。一番近い米子からでも電車を乗り継いで訪れるには一日仕事。車でその旅が実現する夢が叶い、旅の初めから期待に胸が膨らんだ。
  県道・180号線を快適に飛ばす。昨今の道路整備の良さには感心する。問題の「道路特定財源」も、もう、使う先がないのでは・・・と思うくらいに整備が進んでいる。西伯郡西伯町から五輪峠越えで日南町に入った。峠の天辺から日南町役場へ転がり落ちる途中、日南湖(ダム湖)で凄い秋色に出会って車を休ませた。道路に沿って、どうだん躑躅が一直線に赤を並べる。橋の上からは周囲を見渡すと「ようこそ、遠路遥々、日南町へ」と見事な秋景色が歓迎の旗を振る。人里離れたこの地で、地元の僅かの人と偶に訪れる訪問客のために、一生懸命に輝く木々たちの姿は、鍵掛峠の輝きに匹敵する見事さであった。
  名残を惜しんで、坂を下り、日南町役場の脇を通って、伯備線・上石見駅を目指した。カーナビは石見西小学校まで連れてくれた。さて、ここからはカーナビなしだ・・と緊張を高める。役場で教わり、丹念に地図を眺めた、農道を辿る。急斜面を駆け登ると、“天体の植民地”と井上靖が名付けた、日南町神福の部落が眼下に広がる。写真でお馴染になった「野分の館」が天を指さすようにきりっと建つ。折よく、村の人が掃除に訪れていた。
  館から見学する。昭和60年に日南町が建設した、小さいながら頑丈に作られた六角堂風の洒落た建物。二重に作られた館内の展示室の入り口には「井上靖先生は、昭和20年6月、ふとした縁から、戦火を避けて、この地、日南町神福に家族を疎開させられました。

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