車に戻り、志賀直哉の滞在した蓮華院跡、散歩場所の阿弥陀堂を目指したが、大山周遊道路からの道は苔と雑木林に覆われた石段の道で、車を停める場所も見つからないまま、やり過ごすより他なかった。 尾道・城崎・奈良・安孫子・戸倉山田・・・と「暗夜行路」を中心に志賀直哉の足跡を辿った「私の暗夜行路」も終わりに近づいた。旅の終章を彩る「茜色の坂」を見つけるために先を急いだ。 (大山寺・志賀直哉文学碑:大山寺本堂:大山寺付近から大山中腹を臨む)
大山高原で紅葉に酔う 山陰の最高峰、・大山は見る角度によって、会津磐梯山同様に、全くその姿を変えると言う。島根県・米子市、安来市からの景観はなだらかなすそ野を形成し、柔らかく美しく、富士山に似ていることから伯耆富士の名を持つ。一方、江府町、日野町あたりから眺める大山は激しい崩壊で険しい山ひだを作り、無数のガレ場や沢を形成し、ダイナミックな南壁の下は、針葉樹、ブナ林などの森が広がる。「鍵掛峠からの紅葉の景観は山陰随一」と案内されていたので、旅の初めから、「茜色の坂」は其処だと期待が高鳴っていた。 大山寺から大山周回道路を走る。秋色に輝くブナのトンネルを潜り見事な化粧に声を挙げ、一ノ沢、二ノ沢、三ノ沢と続くガレ場では大山を流れ落ちる白い川床の異様な光景にまた声を挙げ、厳しいアップダウンと九十九折を繰り返しながら車を進めた。 p.01へ −p.02− p.03へ |