大谿川に戻り、メイン道路の裏側、文人達の散歩道・木屋町の細道を辿る。しだれ柳が風に吹かれ、もみじの落葉と錦鯉が静かに川を流れて行く。川畔で野口雨情詞碑(城崎温泉節)向井去来句碑を探訪。その先の、外湯・「まんだら湯」脇の吉井勇歌碑を見て薬師堂へ急いだ。
  薬師堂の有島武郎歌碑(浜坂の遠き砂丘の中にして わびしき我を見出でつるかな)は銀杏の大樹の下に座っていた。鳥取砂丘を巡り当地「ゆとうや」に三泊の宿をとった(大正12年4月)有島が、世話になった仲居さんに書き与えた半切を碑に仕立ててもので、明日訪れる予定の鳥取砂丘の歌碑と同文だが確かめて置きたいこともあった。碑面に流れる美しい文字からは、城崎から帰って2ヶ月後軽井沢で情死する有島の、心の乱れはいささかも感じられなかった。
  次の目的地・浜坂への途上、「つたや晴嵐亭」脇で田中冬二「城崎温泉」詩碑を探訪。青御影石の碑面に細かい冬二の文字が載っていた。「飛騨の高山では 雪の中で山鳥を拾った という言葉がある・・・」で始まる短い詩だが、銀行員時代の冬二が何度も訪れた城崎なのに、温泉街から離れた場所で旅館を訪れる人も稀だし、ましてこの詩碑を眺めてくれる人は少なかろうと、少し淋しい想いで車に戻った。
  駆け巡った碑の数々を思い出していると、「彼方の路へ差し出した桑の枝で、或る一つの葉だけがヒラヒラと同じリズムで動いている・・(城崎にて)」と当地での志賀直哉の心境を代弁し、繊細に描かれた桑の木が車窓を横切った。“降りて写真を”と思う間もなく通り過ぎた。
  外湯「一の湯」脇の年代物の標柱に「海内随一」と記されていた。温泉が海内随一なら、文学愛好者にとっても文学碑日本一の場所で、駅前の雑踏以外はゆっくりと散歩を楽しみ、文学の息吹を嗅ぐことが出来る名湯であった。と云っても、青春時代の城崎を思い出す暇もなく碑めぐりに夢中で、折角の名湯を訪れたのにお湯にも入らない無粋な客で終わった。
     
       (城崎文芸館・志賀直哉文学碑:木屋町通::薬師堂・有島武郎歌碑碑面)
*1「川でみた大鼠は、首に魚串を刺され川岸の人たちの石に追われて逃げ惑っていた。死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽くして逃げ回る様子が妙に頭についた」(「城崎にて」)
*2「城崎では彼は三木屋というのに宿った。俥で見て来た町のいかにも温泉場らしい情緒が彼を楽しませた。高瀬川のような浅い流れが町のまん中を貫ぬいている。その両側に細い千本格子のはまった、二階三階の湯宿が軒を並べ、ながめはむしろ曲輪の趣に近かった。また温泉場としては珍しく清潔な感じも彼を喜ばした。一の湯というあたりから細い道をはいって行くと、桑木細工、麦藁細工、出石焼き、そういう店々が続いた。ことに麦藁を開いてはった細工物が明るい電燈の下に美しく見えた。宿へ着くと彼はまず湯だった。すぐ前の御所の湯というのに行く。大理石で囲った湯槽の中は立って彼の乳まであった。強い湯の香に、彼は気分の和らぐのを覚えた。」(「暗夜行路)
*3「ある朝のこと、一疋の蜂が旅館玄関の屋根で死んでいるのを見つける。他の蜂が巣にはいった日暮、冷たい瓦に一つ残った死骸に、淋しさと静けさを感じる」(「城崎にて」)


香住海岸を通って日本海の町・浜坂へ


  城崎温泉から日本海の町・竹野へ抜けた。ここからは山陰海岸国立公園の海岸美を楽しむドライブ。曇り空、押し寄せる白波が、日本海の暗さを一段と際立たせる。車窓はそんな厳しい日本海をスライドショーのように次々と映し出した。
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