各々の碑の周りを草木が飾る。最後の歌碑の先では萩の花も少し花を付け始め、舞台装置は万全で、この地の人々の愛情が伝わってきた。私はといえば愛唱する笠金村の「草枕旅行く人も行き触れば にほひぬべくも咲ける萩かも(8・1532)」を思い起こしながら、川畔まで歩を進めた。 私は青空に映える凌霄花に励まされながら人気の少ない温泉街を歩いた。志賀直哉が「豊年虫」を書いた「笹屋ホテル」(*3)は戸倉・上山田温泉街の入口で待ち構えていた。中庭にあると聞く四賀光子の歌碑や小説に因んで建てられているホテル内の「豊年虫」別館の佇まいを見たかったが、あまりの豪華さに圧倒されてしまった。持参した資料と、玄関の写真で我慢して、先を急いだ。 |