いしぶみ紀行・戸倉上山田・坂城(長野)−2008.08−

 貞亨5(1688)年8月、45歳の芭蕉は「笈の小文」の長旅を終え、岐阜でしばしの休息を得た後、江戸への帰途に、「さらしなの里、姨捨山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹さわぎて・・・」(「更科紀行」)と月の名所・姨捨の地を旅した。
  芭蕉が辿った道を、後年、正岡子規「かけはしの記」で歩き、島崎藤村が「夜明け前」の舞台として選び、堀辰雄が「信濃路」に仕上げた。それら先人の足跡は、私の脳裏から離れず何度も訪れた。回数を重ねても「あの場所も」との思いが次々と湧いてくる。今回は「戸倉・上山田・坂城」を訪れることにした。
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  上田で長野新幹線を捨て、「しなの鉄道」に乗り換える。霞む塩田平、別所温泉を眺めていると、虚空蔵山と鉢伏山が一気に車窓に迫る。狭い山峡を千曲川の激流が走る。川と一緒に両側の山を掻き分け、私は長野・善光寺平の入口をこじ開けた。
  戸倉駅前は、人の気配もなくひっそりとして、太陽だけが溢れていた。私は駅前大通りを南へ、標高1200mの冠着山(姨捨山)に向かって飛び出した。北国街道(国道18号線)との交差点に苔むした茅葺屋根の古民家。志賀直哉「豊年虫」に「萱乃庵」の名前で登場する「下の酒屋」(現・坂井名醸)の傾きそうな家屋を木槿とコスモスが支える。「ほう、もうコスモスか」と早速一枚。参勤交代、善光寺参りで賑った「戸倉宿」の面影を残す唯一の証人は健気にも四百年の歴史を強烈な日差しから守っていた。
  私は古民家を横目で見て、千曲川河畔の上山田中学校に急いだ。勝手が判らぬまま、校門から右手に辿ると、校舎の裏側に迷い込んだ。二階の教室から混声合唱の爽やかな歌声、体育館では剣道の気合い、中庭の木陰で読書する少女、みんなそれぞれの夏休みを楽しんでいた。私は邪魔せぬようにと足音を潜めて玄関を探した。花で縁取られた玄関前に「論語」の碑。碑文「有朋自 遠方來、不亦樂乎(朋あり、遠方より来る、 また楽しからずや」が遠来の私を歓迎してくれる。その隣に虚子句碑「山国の蝶を荒しと思はずや」が座っていた。折よく、碑の前を蝶が訪れる。これは、これはと、カメラを向けたがチャンスを逃した。
       
                              (写真:下の酒屋・論語碑・虚子句碑
  旅立ちに当って、この地が志賀直哉の短編「豊年虫」の舞台であることを知り、大急ぎで、目を通して来た。作品は、戸倉温泉「笹屋ホテル」に滞在した時のちょっとした体験を、さりげなく描き、儚く死んでゆく「豊年虫(カゲロウ)(*1)の様子を通して、ある種の無常観を浮かび上がらせている。直哉の代表短編「城崎にて」に似ている掌編であり、この旅では私のお供となった。
  駅に戻って車を拾うか、それとも、炎天下ではあるが千曲川の川風に吹かれるか・・・と迷った末、お供の薦めで歩こうと決めた。決心は、新しい発見に繋がり、幸運が待っていた。家々の百日紅が眩しい。千曲市戸倉庁舎の立派な建物の角を千曲川に向かって曲がる。草花に囲まれた歩道脇に歌碑らしきものが並ぶ。近寄ると、万葉歌碑であった。持参したリストにない新発見の歌碑が四基も並んでいた。
春は萌え夏は緑に紅の まだらに見ゆる秋の山かも作者未詳 (10・2177)
春霞流るるなへに青柳の 枝くひ持ちて鶯鳴くも作者未詳(10・1821)
八千種に草木を植ゑて時ごとに 咲かむ花をし見つつ偲はな大伴家持(20・4314)
萩の花咲きたる野辺にひぐらしの 鳴くなるなへに秋の風吹く作者未詳(10・2231)
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