ビルの谷間を風が吹き抜けた。風は墓碑の上に載る幻のレモンを微かに揺らせた。持参した資料の、名作「檸檬」や「桜の木の下で」の一節に目を落とした。そこには、独特の詩的感覚を漂わせる梶井ワールドがあった。 *5:梶井基次郎梶井基次郎(明治34年−昭和7年)小説家。昭和7年。明治34年大阪市に生れる。北中学、第三高等学校、東京帝大英文科と進む。小説家を志望し、伊豆湯ヶ島で川端康成、宇野千代らと過ごすが三高時代からの肺結核のために大阪に帰郷、卒業もできなかった。昭和6年、生前唯一の、作品集「檸檬」刊行。翌、昭和7年3月24日に肺結核のため大阪住吉区で永眠。享年31歳。 若い時分に親しんだ作家であり、いしぶみ紀行・梶井基次郎を書きたいとの思いは強いが、一向に筆が進まない。 谷町筋に沿って更に北上。9丁目の妙法寺に芭蕉句碑「御命講や 油のやうな 酒五升」を訪ね、夏のような日差しを浴びながら、更に北上。8丁目の正覚寺とガソリンスタンドに挟まれた、狭い路地の奥で近松門左衛門の墓に行き着いた。 真田山から森之宮へ急ぐ 昼なお薄暗い墓地には長く留まれずに逃げ出した。近くの誓願寺(上本町西4)には、井原西鶴の墓所、武田麟太郎文学碑もあるが以前訪ねたのでパスし、上町筋を横切る三韓坂を登った。江戸期の万葉学者・契沖の庵跡を通って真田山公園へ向う。豊臣・徳川の決戦「大阪の陣」の激戦の舞台に建つ真田山小学校で小野十三郎詩碑を見つけた。書家・榊獏山の書で、上部には平和な姿の少年少女の坐像が日差しを受けていた。見事な造型に感心しながら辞去した。 大阪城に向って坂を歩き、大阪カテドラル聖堂・玉造教会へ。エキゾチックな雰囲気の白亜の外観を持つ巨大な聖堂横で阿波野青畝句碑「天の虹 仰ぎて右近 ここにあり」を見学。再び坂を下って玉造稲荷神社へ向った。神社では小野小町歌碑、関西人には御馴染みの漫才台本作家秋田実文学碑(秋田實笑魂碑)、近松門左衛門文学碑(曽根崎心中一節刻)を調べた。疲れた足を引きずって上町筋を北上、JR森ノ宮駅の前に森之宮神社に辿り着く。前方の緑の絨毯の上に小さな大阪城が光っていた。(2008.06紀行:記録) (大伴家持・百人一首 イメージ写真) p.06へ −p.07− メニューへ戻る |