万葉集の巻末を飾る一首を詠まれてから26年、延暦4年(785)に陸奥国多賀城(宮城県多賀城市)の地に於で68歳の生涯を閉じるまで、貴方様は、「薩摩」「大宰府」「陸奥」と辺境の地を歩きながらも、長寿を全うされたと後世の史家は記しています。 これも蛇足になるかもしれませんが、貴方様の最後の地となった多賀城は、後世、歌枕の地となり、貴方様に続く歌人、西行法師が「陸奥(みちのく)のおくゆかしくぞおもほゆる 壷のいしぶみ外の浜風」を詠み、松尾芭蕉が「奥の細道」で訪ねて「今眼前に古人の心を閲す。行脚の一徳、存命の悦び、 羇旅の労をわすれて、泪も落るばかり也」と記していることもご報告しておきます。 末筆ながら、平安時代には「三十六歌仙」の一人に選ばれる栄誉をに輝いたこと、貴方様が精魂を傾けた万葉集編纂の偉業は、1500年近い年月を経ても、それを越える歌集が現れなかったことをお伝えし、そのことが少しでも、不運を嘆かれた貴方様の慰めになることを祈りつつ、感謝の花を捧げたいと思います。 大伴家持・百人一首歌碑 「かささぎの・・・」の歌碑は訪ねた森之宮神社のほか、以下の場所にあるが何れも未訪問である。 @ 新潟県十日町市松之山 鏡が池:大伴家持がこの地に滞在していたとの伝説の地。池のある松之山温泉は長野県の県境に近い山深い盆地。豊かな自然に恵まれて秘湯気分味わえるという。小説家・坂口安吾もたびたび訪れていて、没後、文学碑が建てられている。一度は訪ねてみたい憧れの地である。 A 京都市右京区嵯峨二尊院南 長神の杜:家持歌碑以外に、嵯峨地区には四箇所に分かれて百人一首の全歌碑がある。近いうちに是非とも訪ねてみたい。 B 三重県松阪市三雲星合「かささぎ橋」畔:単に橋の名前がこの歌に出てくると言うだけの縁の建碑だが、明治36年に建てられて、この歌の碑としては一番古い。 C 長野県中野市赤谷332谷厳寺:この寺に百人一首の全歌碑が揃っている。 D 東京都世田谷区用賀4 用賀プロムナード:百人一首の全歌が敷石タイル100枚に刻まれ、敷き詰められている。 (左・十日町市歌碑:中・京都嵯峨長神の杜歌碑:右・松阪市かささぎ橋歌碑:三基共写真借物) 大伴家持の歌碑 さすが万葉の大歌人だけに、家持が赴任した越中(石川・富山)を中心に、全国に180基以上の歌碑が存在する。奈良・神奈川・静岡にある以下の僅かの歌碑しか見ていないが、何れも、家持の代表歌を刻んだ素敵な歌碑であった。特に神奈川と静岡の歌碑は、とても不便な山間地にあり、探し当てるのに苦労をした思い出が残る歌碑である。 @ 奈良市春日野町氷室神社 「うらうらに照れる春日にひばりあがり情悲しもひとりしおもへば」 A 奈良市雑司町東大寺・真言院 「すめろぎの御代栄えむと東なる 陸奥山に黄金花咲く」 B 神奈川県相模原市藤野町牧野佐々木俊雄氏宅 「もののふの八十をとめらがくみ乱ふ 寺井の上のかたかごの花」 C 静岡県伊東市鎌田万葉の小径 「この雪のけのこるときはいざゆかな 山たちばなの実のてるもみむ」 p.04へ −p.05− p.06へ |