「有(あり)」と「否(いな)」の対句、「いな」は「猪名」と「否」、「そよ」は「そうですよ」と「そよそよ」を掛けているなど、手の込んだ言葉使いはこの時代の歌の特徴であろう。文字を読むより、声を出して詠むと、各句の頭が母音「あ」、「い」の音が充てられているため、耳に心地よく歌が響く。有馬山と猪名の笹原は対になった歌枕で多くの歌に詠まれている。有馬山は六甲山系の北側、有馬温泉付近の山、「いなのささ原」は伊丹空港の脇を流れる猪名川付近の笹原をいう。
 
             

作者の生没年は未詳(長保元年(999)頃⇒永保2(1082)頃との推定)だが、平安中期の著名な女流歌人である。経歴を拾ってみよう。
  賢子(かたこ)と呼ばれた大弐三位は紫式部と藤原宣孝の間に生れた。長和6(1017)18歳の頃、母・紫式部の後を継いで一条院の中宮・彰子に仕える。万寿2(1025)親仁親王(後冷泉天皇)の乳母に召された。天喜2(1054)後冷泉天皇の即位とともに従三位(じゅさんみ)に昇叙。結婚した夫・高階成章も大宰大弐(大宰府長官)に就任した。「大弐三位」はこの官位と夫の官名に由来する女房名である。
  高階成章との結婚で男子も授かり、後半の人生は幸福なものであったようだ。有名な「紫式部日記」は宮仕え間近の娘・賢子のための参考記録として書かれたという説もある。母親の教育よろしきを得て、色彩豊かな長寿の生涯を貫いたと想像される。

                         

     (写真は借物:左・江戸期のかるた・右は江戸期の浮世絵師・勝川春章の絵の版画化)
             
 

「梅の花 なににほふらん 見る人の 色をも香をも 忘れぬる世に」(新古今集)


大弐三位さま
  梅が、貴方様の時代と変らずに、咲き誇っている時節を迎えております。
  突然にお便りを差し上げることのご無礼をお許し下さい。
  先日、「猪名の笹原」を訪ね、貴方様の歌碑にお逢いして参りましたので、そのご報告をと思い筆を執りました。


  先ずは猪名の現況のご報告から始めましょう。
  貴方様が詠まれた猪名は伊丹と名前を変えて居りますが、猪名川の流れは時を経ても変らず、悠々と流れておりました。
 

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