58番 大弐三位
 有馬山ゐなのささ原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
       
「有馬山から猪名の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと鳴る。そうですよ。忘れたのはあなたの方、どうして私があなたを忘れたりするでしょうか」
(吉海直人・同志社女子大教授の現代語訳)
         


  伊丹市役所から南西に800mほど真直ぐな道を辿る。池の周りを囲む13基の歌・句碑群が待ち受ける昆陽池(こやいけ)公園の木々を目指して歩く。訪問碑のリストに書かれた歌人の一人一人について、白洲正子「私の百人一首」のページを思い浮かべながら急ぐ。今日の最大の目的・大弐三位歌碑は直ぐそこに迫っていた。
  「ありまやまァ− いなのささはらァ−・・」と呟きながら昆陽池公園の南の入口から園内に入る。左手前方に昆陽池の水面が光った。地図・手帳・カメラの「三種の神器」を握り締め、関西屈指の野鳥の楽園の一周2kmを早足に歩き始める。何よりも先ず大弐三位の歌碑を見たかった。
  歌碑は、南入口に近い、芝生広場で冬日を浴びていた。辺りは明るく少し逆光気味であったが美しい歌碑だ。「忘れずに会いに来ましたよ」と猪名の風が運んできた落ち葉を踏んだ。
  黒御影石の一部を円形に磨き出し、かつその一部を色紙状にして歌を彫った、手の込んだ、見事な出来栄えであった。文字は藤原定家の集字で達筆すぎて読み辛かった。碑陰には碑歌を判りやすく書いた白御影石が嵌め込んであったのは親切な計らいで有難かった。
  猪名の笹原は今では住宅に覆われている。だがここは、狭くなったとは言え、昔を偲べる池で、遠くに六甲山系が横たわる。その陰には「有馬山」も隠れているに違いない。歌を鑑賞するには絶好の立地であった。

       
       (写真:昆陽池−遠くに六甲山山系・昆陽池大弐三位歌碑・同碑面)
         


  この歌は「後拾遺集709番」に「かれがれなる男の おぼつかなくなど いひたるによめる」との詞書のもとに載っている。「疎遠になった男から、自分ことは棚に上げて、大弐三位の心を疑ってきたので、ややからかい気味に詠んだ歌」(白洲正子)である。恨み辛みを綴った歌が多い中で、ひときわ異色な愛らしさを放っている。凛とした静けさの中に、宮廷に仕えた女のプライドと機知が光っている歌と読んだ。
 
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