また、激しく雪が落ちてきた。
  阪急・上牧駅に向って、詩集「測量船」の巻頭を飾る、愛唱の詩・「春の岬」を呟きながら歩いた。
  「旅のをはりの鴎どり 浮きつゝ遠くなりにけるかも」と何度か、呟いていると、ふと、病床の義妹の姿が浮かんできた。雪が視界を遮る。気持ちは降る雪と共に重く沈んで行った。
  一昨日の電話では、病室が個室に変わったが、見舞った時には、思った以上に元気だったと言う。が、お医者さんは体力が持つかが心配だと言う。年初に贈った詩「夜明けに」に書いたように、薬の副作用で食欲が衰えた義妹はアフリカの子供ようにやせ細っていた。
  「旅のをはり」という詩句が不吉な予感を連れて来た。
  「頑張るんだよ。帰ったら見舞いに行くよ。その時には、詩人・立原道造が病床から頼んだ『五月の風をゼリーにして』持って行くよ・・・」と呼びかけながら、視界不良の道を、雪のベールを撥ね退け、上牧駅に駆け込んだ。
                   
          (福井・東尋坊・三好達治「春の岬」詩碑:お見舞いの詩-クリック拡大

永訣の朝
  深夜。枕もとの電話がベルを鳴らす。
  「容態が予断を許さなくなった」との電話。「もうじき私、駄目になる」と義妹の声が電話の向こうから聞こえて来るような、緊迫した声が冷え切った寝室に響く。
  眠れないまま、「何とか、朝まで、朝まで」と祈る。
  宮沢賢治が愛する妹・とし子を見送った夜に一気に書き上げた慟哭の詩が押し寄せてくる。そんな不吉な詩は聞きたくもないので蒲団に潜る。
  高村光太郎の「レモン哀歌」と共に、挽歌の中でも特に優れた詩として知られている、全57行に及ぶ長い詩・「永訣の朝」は執拗に追っかけてくる。
  「けふのうちに /とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ /みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ」・・・「あめゆじゅとてちてけんじゃ」・・・「ありがとうわたしのけなげないもうとよ/わたしもまっすぐにすすんでいくから
  「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」(雨雪を取ってきて下さい、賢治兄さん)と方言で書かれたリフレイン。「けんじゃ」に代わって「けんじ」と聞こえたのは幻聴であったのだろうか。成す術もなく、体は金縛り状態で、寝室は凍るばかり。
  枕もとの電話が二度目のベルを鳴らす。
  「残念です。1時48分、旅立ちました」と意外に落ち着いた義弟の声。
応える短い会話。窓が白むまで短い眠りを繰り返す。
  「あめゆじゅとてちてけんじゃ」が最後の願いであったのか。そんな簡単な願いも聞き届けられなかったことが悔しい。寝室を抜け出して宮沢賢治を読む。絶唱三篇・「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」が冷えた体内を駆け巡る。
                   
          (宮沢賢治詩「永訣の朝」:宮沢賢治詩「無声慟哭」−クリック拡大
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