いしぶみ紀行(高槻・三好達治)


視界不良
  父の介護を終えて、横浜への帰途、大阪・中ノ島公園の三好達治の詩碑に立ち寄った。
  冬将軍が日本海に居座り、公園には北風が舞っていた。この詩碑を訪ねるのは二回目であるが、高槻市にある奥津城を訪ねる前に挨拶をして置きたかった。
  大阪市が建てた黒御影石の詩碑は立派であったが、身を縮めて急ぐビジネスマンには無縁のようで、寒さを堪えてぽつんと座り、鳩の群れだけが見上げていた。碑面には、処女詩集「測量船」の第二番目に掲げられた詩・「乳母車」が活字体で彫られて、弱い冬日を浴びていた。
  「母よ−/淡くかなしきものの ふるなり/紫陽花いろのものの ふるなり/はてしなき並樹のかげを/そうそうと風のふくなり・・・」で始まるこの詩は、作者が東大在学中に発表して絶賛を得た、詩壇へのデビュー作。乳母車を押せと母にせがむ幼児の情景は、母への永遠の郷愁、慕情を見事に歌い上げていた。強風を避けて、早々に大阪駅に向かい、快速電車に飛び乗り、高槻駅に向った。


  雪が舞っていた。
  横殴りの雪に視界を妨げられながら、高槻城址に急いだ。高槻カトリック教会が豪勢な飾りを付けて聳えていた。高山右近の像に悲劇の生涯を思い浮かべ、阿波野青畝句碑に取り付いた。「礫像の全身春の光あり」と金色で彫られた銅版が雪空に光を放っていた。
  雪は一段と激しさを増して来た。通りかかった車に逃げ込んだ。
  「上牧の本澄寺までお願いします。阪急京都線の上牧駅の近くだそうです」
中年の運転手は聞きなれない寺の名前に首を傾げたが、上牧駅なら解りますと急発進。この辺りは、「堤遠く水光ほのかなり 城ありてこれに臨めり・・・(詩・水光微茫)」と達治が詠ったように、淀川の流れに近く、前方には、山崎の天王山の古戦場(明智光秀と豊臣秀吉決戦場)が見える筈だが、雪が全てを覆い隠していた。
  本澄寺は達治の弟が住職を務める日蓮宗の小さなお寺。門を入る頃、漸く、雪が止んだ。
  「三好達治記念館」(見学には要事前予約)が本堂に対峙して沈んでいた。七回忌に建てられたという墓碑は直ぐに見つかった。山茶花の垣根に囲まれ、二畳ほどの奥津城を花びらで敷き詰め、ゆっくりと歩み寄っていく私を出迎える。細長い簡素な墓石には「三好達治」と達筆の墓碑銘が彫り深く刻まれていた。詩人が「願はくばわがおくつきに/植ゑたまへ梨の木幾株」(詩「願はくば」)と希望を述べた梨の木を探したが見つからなかった。
  今日のような雪の日に先立った親友と二人で達治の詩を愛読したことを報告、詩「わが名をよびて」に倣って「達ちゃん、達ちゃん」と二度呼びかけさせてもらい、感謝の祈りを捧げた。
                   
 (大阪・中ノ島公園・三好達治「乳母車」詩碑:高槻市上牧・三好達治墓域 -クリック拡大

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