広野町では大和田建樹がこの沿線を旅して作詞した童謡「汽車」(今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと 思うまもなく トンネルの・・・)の世界を探して見ることにした。
  国道6号線の折立の交差点で田舎道に入り、しばらく車を走らせると常磐線の踏切に出逢った。右手遠方に小さな鉄橋。「ああ、これがモデルの鉄橋だ」と早速カメラを向けた。あざみの花が前景を飾っていた。左手の山上には東禅寺。踏切に立つと線路は小さなトンネルに伸びていた。先ほどの波立海岸が「今は浜」だとすれば、「思うまもなくトンネルの・・」はこのトンネルでも可笑しくない。だが、このトンネルは新しいもので、その先に大和田建樹が乗った列車が通った古いトンネルがあると聞いた。50mほど歩くと左手奥に今は廃墟となった旧常磐線トンネル。これが歌詞に出てくるトネンルであった。小学一年生になる少し前に、疎開で紀の川を遡った汽車の旅。あの独り旅の、心細かった思い出が、軽快な曲とは裏腹に、暗い廃墟のトンネルの中に吸い込まれていった。
 「闇をくぐって広野原」の広野の駅はこのトンネルから近かった。広野駅の名前が「広野の原」⇒「ひろのはら」を想起させたとの解釈で、この駅のホームには「汽車」の詩碑がサルビアに囲まれていた。夢中で写真を撮っていたら「間もなく列車が通過します。気をつけて下さい」と駅員に怒鳴られた。特急が轟音をたてて走り去って行った。

 (写真:今は山中:今は浜−波立海岸西行歌碑:今は鉄橋:思う間もなくトンネル・旧と新)
                       
 

  句集「待春」の世界、それが連れて来たいしぶみ紀行・常磐を、長々と書いてしまいました。
  御蔭で、「上野駅に帰った時、荷物がやけに重くなっていたのは頂いた大根のためではなく、今年の紅葉の贈物が鞄一杯に詰まった所為であった」とメモに記した旅の鞄が、より一層、重さを増しました。
  貴兄の素晴らしさに触れ、来年の賀状の一句が楽しみです。
  いしぶみ紀行の途上で、何時の日にか、貴兄の句碑に出会える日が来ることを願って、いや、必ず来るであろうと信じて筆を置きます。
  見事な作品を沢山見せて頂いたことに重ねてお礼申し上げます。
                                       (2006.11紀行・2007.11記)

後記
筆者が素朴な感想を送った所、「待春」の作者から丁寧な解説の手紙が送られて来た。筆者の鑑賞力の浅さ、知識の無さを痛感するばかりであった。
例えば本文に書いた、「爽籟
(そうらい)」は「秋に林などで枝を鳴らしながら吹き抜ける爽やかな風」、「翠巒(すいらん)」は「緑の山」とのこと。作者の句意を測りかねた、「まさおなる空を残してさくら枯れ」は句会で満票をとり、主宰者から特選を得た傑作で「風生の桜はあのときの青の空だけを残してすっかり枯れ切っている。しかし、堂々と光り輝いている」との句意であること。「十薬(どくだみ)の白さに噎()せて雨あがり」の「十薬」は「どくだみ」のことだが、「じゅうやく」と発音するとのこと。本文を訂正すべきかもしれないが、敢えて、筆者の浅学を残しておきたい。(2007.12記)

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