いしぶみ紀行・常磐−句集「待春」の世界と共に−


T・H兄
  季節は冬に向って足早です。如何お過ごしでしょうか。
  句集「待春」の出版を心からお祝い申し上げます。また、早速に、ご恵贈いただき本当にありがとうございました。
  すっかり、お祝いもお礼も遅れてしまったことをお許し下さい。
  これには訳がありました。巻頭句「春愁やひとりの影の立ち尽す」に魅了されたのです。さすが、巻頭に置いただけの見事な一句でした。出発の春なのに「立ち尽す」とは一体・・・と想いは様々に交錯し、先に進めませんでした。この一句で「これはゆっくりと味わう句集だ」と直感し、一日のページを制限して読み進めました。遅くはなりましたが、漸く、巻末に辿り着きましたので、その感想を、句集「待春」が連れて来た「いしぶみ紀行・常磐」と共に、お届けいたします。
                         


句集「待春」は旅を誘った
  句集を拝見しての第一の印象は、いしぶみ紀行を想起させる句が多かったことです。出逢った様々な光景、これから出会うはずの光景を思い浮かべながら読ませていただきました。
ネクタイを外してよりの草の花」は「退職後、いしぶみ紀行を始めた時の新鮮な喜び」を、「碑の暮色に沈みつくつくし」は「牧水の故郷・宮崎県東郷町での夕暮」を、「城見えて頭髪塚に青へちま」は「心待ちにしている俳句王国・松山への旅」・・・と数えればきりのない程でした。
  出逢った風景、時節には多少の違いはあっても、同じような場面に遭遇しながら、貴兄の多彩な表現に比べ、書き残したいしぶみ紀行にはありきたりの形容しか残っていないことを口惜しく思いながらのひと時でした。たったの十七文字が何と豊かな時間をもたらしてくれる物かと考えながら、以前、「いしぶみ紀行・老いの小文」に書いた、芭蕉の言葉「俳句の優劣は、何かを伝えることより、何かを思い出させることで決まる場合も多い」が名言だと納得いたしました。
  そんな中に「城紅葉滅びゆくもの燃えにけり」の一句がありました。
  あの「燃え立つもの」を「滅びゆくもの」と切り取った貴兄の感性には脱帽です。そこには、秋の饗宴の中に立ち尽くす貴兄が居ましたし、いしぶみ紀行で出会った数々の小生の紅葉も浮んで参りました。
  輝きも直ぐに滅びに通じる、輝きの中に滅びが内蔵されていることを見事に捕らえているこの句は、読者の心に様々なイメージを広げる、素晴らしい作品でした。例えそれが、芭蕉の有名な「奥の細道」の一句「夏草や兵どもが夢の跡」を、また、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」で始まる梶井基次郎の名編「桜の樹の下に」を思い起こさせるものであったとしても・・・です。
  この一句はいしぶみ紀行・常磐を連れ来ました。その旅は一泊二日でいわき市の草野心平と山村暮鳥、勿来の関の長塚節や角川源義、袋田の滝の西行法師・・・と、50基の碑を訪ねた大盛りの紀行でした。途上、花貫渓谷で「これぞ日本の秋」に出逢い、その感動を子供たちに伝えるべく、一編の詩を書き残しました。微かに滅びを予感しながら饗宴に酔いしれる私の紅葉の一編をご紹介しましょう。
                       


いしぶみ紀行・常磐−勿来から奥久慈へ−

  勿来駅の先で勿来関への取り付け道路に入った。常磐線の線路付近に長塚節の歌碑がある筈だが見当たらない。見過ごしたかと思ったがUターン出来ずに丘上の関所跡に登り、誰も訪わない正門から関所跡に入った。

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