北海道紀行−安足間(アンタロマ)− 旭川にはナナカマドが熟れていた 二つの詩と日本で一番早い紅葉が北海道に来いと誘った。 ナナカマドの赤い実の歓迎を受けて、宮沢賢治の詩碑を訪ねることから旅を始めた。 旭川東高校の校門脇に巨大な岩がでんと座っていた。さすが北海道の碑だ。巨大で、堂々とした造形がポプラを従えている。たった7時間の短い滞在、たった一編の詩しか残さなかった旭川なのに、宮沢賢治は巨人だった。碑面には詩の全節があった。
ここ旭川東高校は「六条十二丁目」だから、賢治はこの前の通りを隣の区画まで走ってもらったに相違ない。その道には賢治が詩に残した「ポプラ」や「落葉松」も健在であったことが何となく嬉しかった。 樺太への旅が残した作品で詩碑になっているのが今一つある。それは日本最北端の宗谷岬の天辺に座っている。10数年前、夏だと言うのに肌寒い強風の岬に立った。眼前に広がる間宮海峡の青の上を雲が風に千切られて走った。「とうとう北の果ての賢治さんに会いに来ました」と赤御影石に挨拶を贈った。碑面には「はだれに暗く緑する/ 宗谷岬のたゞずみと/北はま蒼にうち睡る/サガレン島の東尾や」と詩「宗谷」の一節が刻まれていた。 そんな思い出を辿りながら、評判の旭山動物園に立ち寄った。公営の動物園としては随所に工夫が凝らされ、噂の通り混雑していた。白熊もライオンもお昼寝中。皇帝ペンギンに手を振り、上から、下からと泳ぎ回る数頭のアザラシに歓声あげた。咲き競うコスモスを前景に、遠景の市街地がスポットライトを浴びたように光っていた。 安足間は大雪山の麓 一編の詩が北の大地の片隅に私を連れてきた。 旭川から層雲峡に近い上川郡愛別町へ。北海道の大地を真直ぐに走る。ビートの緑、小麦の黄色、裸土の茶色・・・が果てしなくパッチワークを織り上げる。開拓時代を思わせる、藁葺きの農家がぽつんと取り残され風景に、この地を切り拓いた人々の顔が浮ぶ。まもなく、期待して来た大雪山系の絶景が・・と眼を凝らすが低い雲が勇姿を隠していた。 石狩川に接近した所で、小さな集落があった。安足間(あんたろま)だ。詩人・百田宗治が愛した安足間は何の変哲も無い小さな集落だった。大雪山の麓の片隅だ。詩碑がある安足間神社が見つからない。地図に出ていた神社だけに慌てた。万葉寺で聞いてみようと、寺にある八幡城太郎句碑、初代白川和尚句碑から調べながら 「百田宗治の詩碑のある安足間神社は何処でしょうか」 「百田宗治さんなら和尚さんが詳しいですよ。何せ、宗治の会の会長さんだから」 法要を済ませた参詣客が和尚を呼んでくれた。 メニューに戻る −p.01− p.02へ |