ブロンズのプレートに詩人の直筆を拡大した十行が刻まれている。その銅板が穂高町産の白御影石に嵌め込まれ、詩に詠われている雄峰、常念岳に向って立っている。 作詩の経緯について作者は次のように述べている。
(写真::穂高中学尾崎喜八詩碑・常念岳を背景にした詩句-クリック拡大) 安曇平の、秋の日の、音楽室の光景は、詩人の魂に深く刻まれ、「田舎のモ−ツァルト」の一篇となり、詩集名にも採られている。 作品そのもの、作品への作者の思い、文学碑の姿や置かれた環境、建碑に至るドラマ、総てが訪れる者を感動させる文学碑の傑作であった。 すぐ傍には萩原碌山の彫刻「抗夫」が居た。この彫刻は、「碌山美術館」建設に先立って学校に贈られたものという。さりげなく名作が置かれていたのに驚く。 「黄ばんだアカシア」は緑の風に揺れる銀杏の並木に変わって、赤い屋根の校舎を取り巻いている。詩といい彫刻といい、一級品に囲まれて青春を送る生徒たちの幸せそうな顔が目に浮かぶが、夏休み中の校舎は生徒の姿もなく、無論ピアノの音も聞こえず静まりかえっていた。 東洋のロダン 見事な詩碑に出会った感動は中々収まらず、隣の碌山美術館まで持ち込んだ。こちらは当町の観光の目玉なので人が多い。当地で生まれた近代彫刻の先駆者荻原禄山の作品がレンガ造りの蔦の絡まる教会風の建物に展示されていた。こんな田舎に、こんなお洒落な・・・と誰しも記念撮影に夢中になる。 p.03へ −p.04− p.05へ |