草野心平の碑さえ見ればもうここには留まる必要はなかった。三春町の人の「地元の人はあまり滝桜を見に行きません。それは、街なかの寺社や旧家には必ずといって良いほど、立派な枝垂れ桜があるからです」との言葉が大混雑の中での花見を早々に切り上げさせた。
  滝桜一族の繁栄振りを見るために、町役場を目指して車を進めた。途中、真照寺・清水元吉句碑「見にも来よ春の三春の水芭蕉 元吉」の傍らに咲いた清楚な水芭蕉が心に残った。
  役場の駐車場に車を入れ、遅くなった昼食を求めて歩く。
  付近は町の中心街で、観光収入で潤ったのか、メインの道路や町並みには想像して来た古びた様相は何処にもなかった。郷土料理の「山惣」が北町にあると教えられた。若山牧水が当地に来遊したときの旅籠も北町にあるので足を向けた。
  「山惣」の手前に、ああこれが想像していた三春だと思わせる、古い建物が残っていた。「山田家旅館」と看板は残っているが廃業している様子。門の上部に掲げられた「山田屋」の文字は見馴れた牧水の筆跡であった。中庭には「時をおき老樹の雫おつるごと 静けき酒は朝にこそあれ」の歌碑がある筈。塀の隙間から覗いて見たが、朝酒に酔いつぶれてお休みなのか姿が見えなかった。
  蔵を改造して食堂に設えた「山惣」で「ほうろく(三角の厚揚げなるも美味)ご膳」の名の郷土料理を頂き、お腹を満たして桜狩に戻った。
  訪ねた樹齢400年の「福聚寺のさくら」は期待に違わず見事な枝振りで薄紅の滝水を滴らせていた。写真で見た色より少し薄かったが大満足。「歴史民俗資料のさくら」は滝桜の子孫が一家団欒中で、前庭は若いピンクで埋まっていた。地元の人の言葉が嘘でなかったと実感した。「常楽院」「大元神社」「八十内公園」と名所の桜狩を続けたが、福聚寺と資料館の酔いは醒めず、それ以上の驚きはなかった。みちのくの片隅に滝桜一族が住み着き、千年もの長寿がもたらした繁栄が三春の町を桜の名所に仕立てたことを確認して桜狩を終えた。
  無事に郡山駅に戻った。不調だったカーナビについて一言ものを申して、新幹線に乗った。車中の缶ビール一本は実力以上の酔いをもたらした。原因はアルコールの所為ではなく、見てきた花々であった。
  先人達の足跡を辿り、花に酔いしれた紀行であった。
     
   (写真左より:同草野心平詩碑(クリック):同寿福寺枝垂れ桜:同資料館枝垂れ桜) 
   
              (写真左:三春町滝桜・・右:花見山のかえで)


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